平家の末裔が暮らす山里へと分け入っていく(徳島県/高知県・京柱峠)【絶景ドライブ 日本の峠を旅する】

平家落人伝説が息づく日本三大秘境の山里

カジヤ祖谷浪漫亭は古民家を改装した民宿。囲炉裏を囲みながら、ご主人の四宮康貴さんのお話をうかがう。

京柱峠を徳島県側に下り切ったところにあるのが三好市の東祖谷地区、かつての東祖谷村である。
日本三大秘境(残りふたつは岐阜県白川郷と宮崎県椎葉村)のひとつである祖谷渓(いやだに)の中でも、観光客の多くが訪れるのは大歩危(ぼけ)・小歩危、かずら橋、小便小僧といった見どころの多い旧・西祖谷村のエリア。東祖谷はそこから祖谷川をさらに15kmほど遡ったところにあり、「奥祖谷」とも呼ばれる。日本の三大秘境と三大酷道が重なる四国最奥の地なのだ。

見ノ越の東側、美馬市木屋平へ向かうルートからは、深い谷の反対側に剣山スーパー林道も見える。

祖谷渓周辺は平家落人の里としても知られている。
今回の取材では、地元の人と話をするたび「あなたも平家の末裔ですか?」と尋ね回ったのだが、驚いたことに全員から、「はい」というきっぱりした返答が返ってきたのだ。
東北地方から沖縄の宮古島に至るまで、日本の各地には「平家落人の里」とされる集落が数多くあるが、そんな言い伝えの信憑性がここほど高い土地はほかにはないかも知れない。平家が滅亡へと向かった屋島や壇ノ浦からも遠くなく、敗残兵が隠れ住むにはまさに格好の山深い地である。

自分で飲むための番茶を炒っていた落合集落のお婆さん。どことなく京風なおだやかな語り口が印象的。

東祖谷にも平家にまつわる史跡が数多くあるのだが、そのほとんどは祖谷川両岸にそびえる山の急斜面に点在している。与作酷道よりもさらに狭く、急峻な山道を登っていかないと、こうした場所には辿り着けないのだ。
「どうして昔の人はこんな不便な場所で暮らしていたのか?」
この疑問を解いてくれたのは、お世話になったカジヤ祖谷浪漫亭のご主人、四宮康貴さんである。
「いまの道路は川沿いに作られていますが、昔の道は稜線を通っていたんですよ。だから、山の上の方で暮らしていても少しも不便じゃない。むしろ、交通の便がよく、日当たりも、眺めも素晴らしい一等地だったんですよ(笑)」

安徳天皇を荼毘に付したと伝えられる東祖谷の栗枝度(くりしど)八幡神社。あたりには神秘的な気配が漂う。

四国山地は国内有数の多雨地帯なので、沢水や湧き水が豊富。また、このあたりでは米は作らず、春先に芋を植え、その後にソバを育てる二毛作を行なってきたため、傾斜が多少きつくても農業はできる。そういわれてみると山の斜面を上へ、上へと登って行くにつれ、
民家の構えが立派になっていくような気がした。
祖谷渓から国道439号を東に進むと、京柱峠よりさらにもう一段高い標高1410mの見ノ越という峠に至る。ここから間近に見えるのが、西日本で二番目に高い標高1955mの剣山である。

災害現場などを上空からでも確認しやすいように、道路にペイントされた起点からの距離表示。

剣岳(剱岳)や宝剣岳、剣ケ峰といった「剣」の字を戴く山のほとんどは、たいてい剣のように鋭く切り立った山容をしている。ところが、この剣山だけはその名前とは裏腹に、草原に覆われたなだらかな頂を持ち、どことなく女性的な姿をしている。
言い伝えによれば、壇ノ浦で入水したとされる安徳天皇は、実は平家の武将と祖谷渓に落ち延び、ともに行方知れずとなった三種の神器『草薙剣』は、平家再興の望みをつなぐため剣山の山中に埋められているという。

東祖谷で穫れるそばの実は昔ながらのもの。粒がやや小さめで、サイズも不揃い。

掲載データなどは2016年7月末時点のものです。実際におでかけの際は、事前に最新の情報をご確認ください。

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