江戸の人々にとって山といえば富士と筑波
江戸のランドマークとして、富士山とともに浮世絵にも描かれてきたのが筑波山である。林立する高層ビル群に遮られ、東京から目にできる機会はめっきり減ってしまったが、いまでも中腹の峠まで駆け上れば、広い関東平野を一望にすることができる。
風返峠から見上げる筑波山。右が女体山(標高877m)、左が男体山(871m)。
冬の朝、都内の見晴らしの良い場所に立つと、富士山とは反対の方角に見慣れない独立峰を目にすることがある。「あんなところに山なんてあったっけ?」と一瞬考え込んだ後、「あぁそうか!」と思い当たる山の正体は筑波山である。
いまでこそ都心から滅多に見ることのできない筑波山も、高い建物がなく、空気の汚れていなかった江戸の街では、「西の富士山、東の筑波山」と称されるほど目立つ存在だったようだ。
筑波山といえば四六のガマ。傷薬ガマの油は、大坂夏の陣に従軍した筑波山・中禅寺の住職が考案した陣中薬が起源とされている。
筑波山の標高は877m。高さで比べると富士山の四分の一にも満たない小さな山塊だが、都心から山頂までの直線距離は筑波山の方が30km以上近いため、けっこう立派な山に見えるのだ。その南側中腹にあるのが風返峠である。
この峠では、県道42号と県道236号が交差しているほか、筑波山の北東麓へと伸びる地方道も枝分かれしている。5本の道が一点で交わり、信号機まで設置されている珍しい峠なのだ。
30年ほど前はローリング族のメッカだった表筑波スカイライン(風越峠の南側区間)。現在も二輪車は通行禁止。
上りと下りのある峠道としてここを越えていくのは、西のつくば市と東の石岡市を結ぶ県道42号で、その西側区間は筑波神社参拝や筑波登山のメインルートになっている。観光バスも行き交う道だが、平地から標高412mのピークまで一気に上っていくためタイトなコーナーが多く、意外なほど走りごたえはたっぷりだ。
一方、峠から石岡市側へと下る東側区間は、うっそうとした杉木立に囲まれた急勾配の山道になる。ときおり木立が途切れると、鹿島灘方面の素晴らしい展望が広がるものの、途中にはクルマ同士のすれ違いにも苦労する道幅の狭い場所もあり、峠の西側に比べると交通量は格段に少ない。
門前町の風情が残る神郡(かんごおり)の家並み。ここを抜ける県道139号はかつての表参道で『、日本の道100選』に選ばれている。
南の土浦市側から風返峠経由でロープウェイ乗り場のあるつつじヶ丘まで延びる県道236号は、20年ほど前まで有料道路だった道で、風返峠以南の区間(旧・表筑波スカイライン)は稜線伝いに延びる気持ちのいいワインディング。その先、つつじヶ丘まで上っていく区間(旧・筑波スカイライン)に入るとさらに眺めは良くなり、眼下には関東平野を一望にする大パノラマが広がる。
ケーブルカー乗り場ではロケ中のAKB48のメンバーと遭遇。記念写真を撮るおじさん、何とも嬉しそうですねぇ?。