ランボルギーニ・ミウラの生みの親、パオロ・スタンツァーニが81歳で永眠

全ての画像を見る

1月19日、「ランボルギーニ・ミウラ」の生みの親として知られるパオロ・スタンツァーニが亡くなった。享年81歳。

 

ミウラだけでなくカウンタックも指揮

 

パオロ・スタンツァーニはランボルギーニの歴史において大きな役割を果たした人物。1966年にはジャンポワロ・ダラーラ、マルチェロ・ガンディーニらとともにスーパーカー史に名を刻む伝説の名車「ミウラ」を世に送り出し、その後も数々の名車を手がけた。

 

paolostanzani_lamborghini _20170130_001

 

スタンツァーニは1936年7月にイタリアのボローニャで生まれた。ボローニャ大学で機械工学を学び、 1963年にアウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニS.a.Sに入社。そして3年後となる1966年、エンジニアのジャンポオロ・ ダラーラやデザイナーのマルチェロ・ガンディーニらとともに「ミウラ」の開発に携わっている。

 

1967年にはジャンポオロ・ ダラーラの後を継いで同社のゼネラルマネージャーおよびテクニカルディレクターとなり、「カウンタック」の開発も行った。当時のランボルギーニのクルマ作りに、その先見性と創造性、そしてプロジェクトへの革新的なアプローチによって多大な貢献をしたことは想像に難くないが、それは現在でもランボルギーニの車作りにおけるインスピレーションの原動力となっているという。

 

世界の自動車史において「ミウラ」と「カウンタック」という革新的なモデルを生み出したスタンツァーニ。なお氏がジェネラルマネージャーとテクニカルディレクターに在った時代には「エスパーダ」「ハラマ」「ミウラS」「ミウラSV」「ウラッコ」などの名車が誕生している。

 

 

■関連記事

H.Tanaka
AUTHOR

関連記事

愛車の売却、なんとなく下取りにしてませんか?

複数社を比較して、最高値で売却しよう!

車を乗り換える際、今乗っている愛車はどうしていますか? 販売店に言われるがまま下取りに出してしまったらもったいないかも。 1 社だけに査定を依頼せず、複数社に査定してもらい最高値での売却を目 指しましょう。

手間は少なく!売値は高く!楽に最高値で愛車を売却しましょう!

一括査定でよくある最も嫌なものが「何社もの買取店からの一斉営業電話」。 MOTA 車買取は、この営業不特定多数の業者からの大量電話をなくした画期的なサービスです。 最大20 社の査定額がネット上でわかるうえに、高値の3 社だけと交渉で きるので、過剰な営業電話はありません!

【無料】 MOTA車買取の査定依頼はこちら >>

注目の記事

「ル・ボランCARSMEET」 公式SNS
フォローして最新情報をゲット!