1970年から1979年まで776台を生産。現行ウラカンEVOの祖先に位置付けられるコンパクトミッドシップモデル
10月9日、ランボルギーニは1970年10月下旬に開催されたトリノ・モーターショーで発表された「ウラッコ」が誕生から50周年を迎えたことを報ずるとともに、当時同社でチーフ・テクニカル・オフィサーを務めたパオロ・スタンツァーニの貢献に改めて感謝の意を示した。
ウラッコといえば、1970年代後半のスーパーカーブームを思い出す方もいるだろう。1975年から1979年にかけて「週刊少年ジャンプ(集英社)」で連載されていた漫画「サーキットの狼」に登場したモデルとして記憶している方もいるかもしれない。そんなウラッコがこのたび、誕生から50年という節目を迎えた。
ウラッコは、カロッツェリアのひとつであるベルトーネでプリンシパルデザイナーを務めていた有名なカーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニがエクステリアデザインを手がけた2+2キャビンを特徴とするV8クーぺ。量産車で初めて前後両方のサスペンションにマクファーソンストラットを採用したモデルでもある。
ウラッコはまた、ランボルギーニ社の創設者フェルッチオ・ランボルギー二の願いが込められたモデルでもあった。フェルッチオは当時、より多くの人が乗れるランボルギーニ車を熱望していたのだ。
ボディは全長わずか4.25mとコンパクトだが、ダッシュボードをはじめとするインテリアの仕立てに工夫を凝らすことで、広々とした室内空間を実現している。
まず登場したのは「P250」で、1970年から1976年までの間に520台を生産。P250という名称は、エンジン搭載位置の「後方」を示す「Posteriore」の頭文字と、排気量の2.5Lを組み合わせたもの。最高出力220hp/7800rpmを発揮し、最高速は245km/hマークした。
その後、1974年のトリノ・モーターショーでは、イタリア市場向けに排気量を2L(最高出力182hp)にダウンサイズした「P200」のほか、高性能版となる「P300」(265hpを発揮する3Lエンジン搭載)を発表。P200は1977年までの間に66台、P300は1975年から1979年までで190台生産された。
P250から数えて合計776台が生産されたウラッコは1979年に生産終了。タルガトップを備えたオープン2シーターの「ジャルパ」に切り替わった。そしてこのV8ミッドシップモデルのバトンはその後、V10エンジンとなったガヤルド(2003年発表)、さらには現行のウラカンEVOへと受け継がれている。
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