世界各国で競作された実験安全車
この記事の公開日は2023年9月6日。今から50年前の今日――すなわち1973年9月6日に、日本政府へ納入された自動車をご存じだろうか? 日産ESVである。
ESVとは、EXAとかRZ-1とかいった固有の車名ではなく、実験安全車(Experimental Safety Vehicle)というひとつの種別を指す言葉だ。1960年代後半、世界各国では交通事故の被害が深刻化しつつあった。そうした状況を受けて、アメリカ合衆国運輸省の肝煎りによって1970年代前半に各国の自動車メーカーで開発されたのが、このESVであった。
ESV計画は、乗員の保護と危険回避の究極を目指し、将来の安全基準を確立、さらには、そこで得られた技術を市販車へと活かすことが目的であった。米国運輸省は、国内の自動車業界は元より日本や欧州各国の政府ともESV開発について1970年に覚書を調印、日本では日産とトヨタが車両開発にあたることとなったのである(ホンダも準参加)。具体的には、アメリカでは車両重量約1800kgの車両を開発、その他各国(日本を含む)ではそれより軽量(約900kg)の車両開発にあたった。
日産では1971年2月には開発チームを編成、約20億円と2年半の時間をかけて研究・試作を重ねてきた。そうして完成させた1号車を日本政府へ納入したのが、1973年9月6日のことである。製造されたのは1台だけではなく数台あり、その構造などからESV E1とESV E2の2種類に分かれるが、いずれもブルーバード(当時はブルーバードU)クラスの4人乗り4ドア・セダンであり、外観上の差異も少ない。
50年前の今日、政府に納入されたのはE1と呼ばれるタイプの方で、これはルーフにペリスコープの大きな張り出しを設けているのが特徴である。のちの810型ブルーバードに似たプロポーションの、オレンジ色の4ドア車である日産ESVの姿は、1970年代の児童向け自動車図鑑といった書籍には決まって掲載されていたもので、今では懐かしく感じる人も少なくないのではないだろうか。
ESVに要求された仕様としては、事故回避と乗員保護のふたつに大別され、それぞれの各項目について基準となる安全性能が設定されていた。ルーフ上の張り出しを伴い設けられたペリスコープは、事故回避のための視認性という項目、「現行のものより格段に広い視界を有する」という基準のためのもので、日産では、従来の3倍の後方視界を確保する2枚凹面鏡式ペリスコープであるとしている。
その他、事故回避のための項目としてはブレーキ(「時速95km/hからでも50mで真っすぐに停止」が基準)があり、E1では前輪:マスターバック付きディスクブレーキ/後輪:アルフィン付きドラムブレーキ(アンチスキッド装置付き)を装着。タイヤ(基準なし)は、パンクしても500Kmほど走行できる二重構造安全タイヤ。さらに、トレールランプ(後続車に加減速の状況を知らせる)や集中警報装置などが採用されていた。
乗員保護については、まず前方衝突について「80km/hの対壁衝突でも乗員は安全」の基準があり、これについてはショックアブソーバー付きバンパー、エアバッグの装着で対処。後面衝突については基準「65km/hの移動障壁による衝突でも乗員は安全」に対し、エネルギー吸収式車体構造とハイバック型後面衝突保護シートを採用。側面衝突では基準「50km/hの側面衝突でも乗員は安全」に対し、ガードバー組み込みドアや安全シートなどで応じている。
現代に継承されたところと違うところが混在
こうした安全策が実際に市販車へと採用され現在へ続いているのは、説明するまでもないであろう。興味深いのは現在の常識とは相違が見られる部分である。今では、エアバッグはシートベルトとの組み合わせで効果を発揮する、というのはもはや常識であるが、日産ESVではE1にエアバッグ、E2にエネルギ吸収式三点シートベルトと、それぞれを別に採用していた。
また、E2にのみ採用されていた技術として、フロントノーズの衝撃吸収機構がある。現在では、フロントセクションを衝突時に潰れやすく設計することでこれを実現しているが、日産ESV E2では、ブリーチ式エネルギ吸収機構というものを組み込んでいた。これはどういうものかと言うと、簡単に言えばパイプの組み合わせで、これの押し広げ作用によって衝撃を吸収するという仕組みであった。なお、これ以外にE2に採用された機構には、フロントバンパー上に設けられた歩行者保護安全装置がある。
最後に付け加えておくと、前述の「重量900kg」というのは2人乗り車両の条件で、こちらはトヨタが担当して開発させている。日産が完成させたのは4人乗り、重量1150kgが目標の条件であったが、実際の車両は1250kgとなっていた。