微妙に寸の詰まったボディが特徴!
ホンダの技術研究所内で要素研究的なテーマで始まったUMRプロジェクト。当初はミッドシップ・レイアウトの可能性を探るものであったが、初代シティやCR-Xのミッドシップ改造車を経て、最終的にはこんな形となった――CODE NAME “NS-X” HONDA R&D PROTOTYPE MIDSHIP SPORTS。
【画像50枚】NSXとはちょっと違う様子とその制作工程を見る!
偽装なしで堂々とテスト走行をする意図もあって、まだ開発中ながら、1989年2月のシカゴショーで異例のワールドデビューをしたNS-X(当時の車名表記)だが、今回1/24スケールのプラモデルで再現したのは、その直後、同月下旬の鈴鹿でアイルトン・セナがテストに参画した(正しくは「ちょっと乗ってもらった」)時点での車両である。
ベースはご存知タミヤのキット。スポーツカー・シリーズの100番目として発売されたNSXは、当時のタミヤとホンダの良好な関係を象徴する一台とも言えよう。これをベースに時間を巻き戻すのだが、このプロトから受ける印象を整理すると、全体にリア周りが妙に寸詰まって違和感があり、ノーズ周りにも鼻ペチャ感がある。
資料から検討してみると、やはりプロトの方が全長で約115mm短い。この短縮分を実車データから1/24換算、多少のデフォルメも加味し、ホイールベースやリアオーバーハング、フロントエンドを加工し切り詰めることとした。詳細は工程レポートに譲るが、リア周りを輪切りにする時は、なるべく形状の単純な個所を選ぶことが、後々の作業効率にも効いてくる。また、再接合する際はボディが歪まないよう、細心の注意が必要だ。
細部に目をやると一見量産型と相違ないと思われる部分でも、かなりの加工を要する。ライト周りの形状やリップスポイラーの厚み、リアバンパー下部やテールランプ、ミラー形状等々……。そもそも量産型と共通の部品などないのかもしれない。
シャシーの加工では、ホイールベースが短いので後輪位置を前方へずらす必要がある。今回はシャシーを切断して詰めるのではなく、後輪の位置をサブフレームごと前方へ移動させて対処した。最後の難物、ホイール――特徴的なタービン形状の6本スポークは、流用できる部品もないので自作。プラ材の組み合わせでマスターを作り、複製して社外のリムと合体した。
ホイールベース延長の理由となった”鶴の一声”
実物のNS-Xはこの後さらに進化する。ニュルブルクリンク・サーキット近くにワークショップを構えたホンダは、ボディ剛性向上を中心に、研究所とのやり取りを何度も重ねてNS-Xを鍛え上げていった。「ジャンプ時の空中姿勢が悪い!」などという、耳を疑うような名言が生まれたことからも、このニュルでの洗礼が如何に厳しいものであったか想像できる。
さらにもうひとつの大きな試練は、VTECヘッドの搭載指示である。この時点でエンジンはV6 SOHCが載っていたが、同年デビューのVTEC機構がこの新世代スポーツには不可欠、という川本社長(当時)の鶴の一声により、NS-Xにも搭載が決定。車体設計はほぼイチからやり直しに近い作業となったようだ。カサの大きいVTECヘッドを載せた皺寄せでホイールベースが延ばされ、タミヤ製キットの状態、すなわち量産型NSXのスタイリングへと落ち着いた。
平成という元号もまだ社会に馴染みきっていなかった頃に現れた、made in JAPANのスーパースポーツ。直後のバブル崩壊から、「失われた30年」と呼ばれる時代が始まるなど想像もつかないくらい日本が光り輝いていた時代の、最後の煌めきである。このクルマを見ていると、懐かしく、切なく感じられてくる方も多いのではないだろうか。