軽オート三輪の革命児をプラ板から再現!「ホープスターSY2」を1/24スケールでフルスクラッチ!【モデルカーズ】

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振動が少なく高出力のU型エンジンを搭載

日本の自動車史において、地味ながら重要な役割を果たしたメーカーに、ホープ自動車がある。1954年に設立されたこの会社(前身としてホープ商会が存在)は、スズキ・ジムニーの原型となった軽四輪駆動車・ホープスターON型を開発したことで知られるが、同社のもうひとつの重要な製品として、軽三輪トラックのホープスターが挙げられよう。このホープスターこそ、ダイハツ・ミゼット登場以前における、軽オート三輪のヒット車種だったのである。

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これについて詳述する前に、軽三輪トラックそのものについて振り返っておこう。軽自動車の規格が定められたのは1949年のことだが、排気量360ccという規定に収まったのは1951年のことである。この翌年、すなわち1952年には、光栄工業という兵庫県のメーカーが、ライトポニーというモデルを発表している。このライトポニーこそが、初の軽三輪トラックと言われるものだ。これは前輪にエンジンを取り付け駆動する特殊な形態のもので、出力3hpという、あまりに簡素なものだった。

同年に大宮富士工業が送り出したダイナスターは、もう少し本格的なもので、ちょうどスクーターの後半が荷台となった形だった。これらのほかにも、クノマックやスパーク、ムサシといった”知られざる”軽オート三輪が数多く存在したが、そうした中で最も本格的な内容のものと言えるのが、ホープ自動車によるホープスターだったのである。この名前を持った軽三輪トラックが初めて世に出たのは1953年のこと。360ccのエンジンを自社開発したこのモデルは、その一方でダットサンやくろがねといった他社製品の部品を多く流用しており、メンテナンス性に優れていたのが特徴だった。

1956年、ホープ自動車は全く新しいホープスター、SU型を発表する。このSU型最大のトピックは、2ストローク・エンジンを採用していたことだった。それまでのオート三輪といえば、4ストロークの2気筒あるいは単気筒エンジンを搭載しており、振動が強く(運転者の健康を害するとまで言われた)、そのくせ出力は弱いというのが欠点であったが、このエンジンはそれらの問題を解決したものだった。

このSU型が搭載していたのは、U型2ストローク・エンジンである。これは外見は単気筒のようであったが、その内側にはピストンがふたつ入っているという構造が特徴で、燃焼室が上部で繋がっていることから「U型」と名付けられている。この構造の利点は給排気効率がよく出力が向上するということで、ホープスターのエンジンは振動が少なく、なおかつ15hpという高出力を得ていた。ホープ自動車自ら「驚異的発表」と謳うほどであったが、それは決して誇大広告ではなかったのである。

ホープスターSU型はこうして高い評価を収め、ヒット車種となった訳だが、ミゼット登場で軽三輪市場が広がった恩恵もあり、SY、SY2と進化していく中で、しばらくは好調なセールスを記録していたという。しかしやがて、ダイハツやマツダほどの企業体力がないことが露呈し、市場から脱落していくこととなる。これには、独自の販売網を持たなかったことも大きく影響したようだ。そうして1963年には軽三輪トラックの生産を中止している。

プラ板工作を駆使してフルスクラッチ!
さて、非常にマイナーな存在であるがゆえに、ホープスターのプラモデルというものは存在しない。ここでお目にかけているのは、1960年に登場したホープスターSY2を、1/24スケールで再現した模型である。当然ながら、完全に自作の”フルスクラッチ・モデル”だ。作者はこのサイトでも以前に同スケールのミゼットやハンビーを紹介している周東氏。製作法はそれらと同じ、ヒートプレスをメインとしたものである。

ヒートプレスやプラ材によるスクラッチ部分については写真もご覧頂くこととして、それ以外を簡単に説明しておくと、荷台はもちろんプラ板の箱組みによるもの。タイヤとホイールはタミヤ製ロータス・スーパー7のものを流用しているが、もちろんホイールはそのまま使用してはおらず、ディスク面を自作している。フロントフェンダーの原型は別の軽オート三輪とも原型を共有したが、その作品についてはまたあらためてご紹介しよう。

作例制作=周東光広/フォト=羽田 洋 modelcars vol.154より再構成のうえ転載

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