せっかく作るならやっぱりこの仕様にしたい!タミヤ製「インプレッサWRC 2ドア」を1997年モデルに改造!【モデルカーズ】

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タイトル3年連続獲得達成、スバル黄金期の頂点

スバルを語る上でWRC(世界ラリー選手権)での活躍を外す訳にはいかないだろう。1990年からレガシィRSでGr.Aクラスへ本格的に参戦したスバルだが、当時のWRCはまさに戦国時代。デルタ・インテグラーレ16V、セリカGT-FOUR、ギャランVR-4といった強豪勢を前になかなか戦績を残せずにいた。待望の初優勝は1993年第8戦、ニュージーランド・ラリー。この時のドライバーこそスバルの若き期待の星コリン・マクレーであり、彼自身にとってもWRCでの初優勝だった。

【画像41枚】没後15年、あの豪快な走りを思い出させるインプと、その工程を見る!

こうしてレガシィRSは有終の美を飾り、第9戦1000湖ラリーではインプレッサがデビューを果たす。アリ・バタネンのドライブでいきなり2位という好調なスタート、その後も熟成を重ねて、1995年には遂にマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。同時にマクレーもドライバーズ・チャンピオンに輝いた。スバルのラリー活動黄金時代の始まりである。続く1996年はドライバーズ・タイトルこそ逃したものの、スバルがタイトル獲得。

1997年には、Gr.Aクラスに特例として改造範囲の緩いWRカー規定(ワールドラリーカー)が設けられたが、日本のメーカーとしてはいち早くスバルが対応し、それまでの4ドアからノウハウを引継ぎながらも、より軽量で高剛性な2ドアのリトナをベースとしたインプレッサWRCにスイッチ。戦闘力が大幅に向上したこの年は14戦中8勝、見事マニュファクチャラーズ・タイトル3年連続獲得という偉業を成し遂げた。これに匹敵する戦績を収めた国内メーカーは他にない。

細部の形状変更と実車用ペイント使用がキモ!
今回の作例は、黄金時代のピークである1997年の、個人的にWRCで最も好きなイベントでもあるツール・ド・コルス仕様とした。タミヤからリリースされたインプレッサ WRC 2ドアは全て1998年以降の仕様であり、1997年仕様の制作には、フロント開口部の形状とホイールを変更する必要がある。画像によって濃くも明るくも見える鮮やかなブルーメタリックのボディカラーは、実車用のタッチアップペイントを初めて使ってみた。メタリックの粒子は小さく、隠蔽力もあって使いやすいが、物によってはプラを侵す可能性がある。使う場合は下地にしっかりとサフェーサーを吹いておく事をお勧めする。

水平対向エンジンによる低重心、ターマック用の低い車高、1770mmへと拡げられたフェンダー、そこへギリギリにセットされたタイヤ。これらにより戦闘的なスタイルとなったインプレッサWRCと、アグレッシブなドライビングスタイルのマクレーは、最高の組み合わせだった。1997年のコルシカ島では気まぐれな天候に左右されながら、2日目終了時はトップのデルクール(プジョー)に遅れること19秒。最終3日目のSSでは好タイムを連発し、最終SSが終わってみればマクレーが逆転。同様に順位を上げて来たサインツ(フォード)に僅か8秒差で優勝をもぎ取った。

大手の無料動画配信サイトでもこのときのビデオを観る事ができる。狭くツイスティな道幅ギリギリにテールをスライドさせる、鬼気迫るようなマクレーのドライビングに痺れることだろう。もちろん、僕の脳内でも何度もリプレイされている。

今回の作例は、2007年9月15日、自宅近くで自身の操縦するヘリコプターの墜落により39歳の若さで他界した、コリン・マクレーへの追悼としたい。

作例制作・文章=吉田史洋/フォト=服部佳洋 modelcars vol.268より再構成のうえ転載

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