トヨタ製バスの黄金期を飾る丸っこい顔
トヨタが大型のバスやトラックを製造していたことを知る人は、今では少ないかもしれない。トヨタグループに属する日野に大型車部門は任せる形で、トヨタのバスは1974年を最後に製造を終えている(トラックの方は1970年代後半まで続いた)。トヨタの大型車の特徴は、ディーゼルが主流となった戦後もガソリン車に力を入れていたことで、むろんディーゼル車もラインナップはされていたが、トヨタと言えばガソリン車というイメージは最後まで変わることがなかった。
トヨタの市販自動車の歴史は1935年のG1型トラックから始まるが、翌年にはすでに、これをベースにしたバスのDA型を発売している。暗い戦争の時代を挟んで、1951年には完全に戦後型となるBY/FY型(バス)とBX/FX型(トラック)がデビュー。フェンダーとヘッドライトが一体化され、フロントスタイルは一気に近代化された。このフロントノーズは同時期のフォード製ピックアップトラックのFシリーズに似た印象のものだが、フロントグリルを何度もデザイン変更しながら1963年まで使用されている。
搭載されるエンジンは戦前の設計であるB型(直列6気筒3.4L)と、その改良版であるF型(直列6気筒3.9L)があり、トヨタの型式称号はエンジンの型を最初に示すので、B型搭載車がBY、F型搭載車はFY型となる。1957年には他社よりだいぶ遅れながらもディーゼルエンジンを追加。このエンジンは直列6気筒5.9LのD型と呼ばれるもので、最高出力110hp、最大トルク35kg-mを発揮した。これより前の1954年に、型式称号のトラック/バスを示す文字がX/YからA/Bに変更されているので、1957年時点でのディーゼルエンジン搭載バスはDB型と呼ばれている。
ここでお見せしているのは、この1957年型のDB70型バスを1/32スケールで再現した模型である。型式の「DB」については前述の通りだが、「70」という数字はホイールベースを示すもので、4.4mのモデルが「70」、4.9mでは「75」となる。シャシーメーカーで造られるのはノーズ部分とシャシー、運転台周り(ダッシュパネルなど)のみで、ボデー本体は様々な架装業者が手掛けたが、ここで再現しているのは梁瀬自動車によるもの。トヨタ製バスの架装は、新三菱重工や富士重工、川崎航空機などが多かったようだ。
マイクロエース製キットを使いつつセミスクラッチ!
当然そのものズバリのキットがあるわけでなく、この作例は大規模な改造によって制作されている。ボンネットバスといえばほぼ唯一のプラモデル、マイクロエースのいすゞBXD30(かつてのエルエス金型によるキット)をベースに、ボデーは切った貼ったし、側窓の配列や形状、大きさのバランスも変更、フロントウィンドウ周りの形状などにも手を加えた。
特徴的なフロント周りは「フォードに似ている」とはいえ同じ形をしている訳はなく、完全な自作によるもの。こうした形状のスクラッチについては色々なやり方があるが、この作例では木から削り出した原型を用いてのヒートプレス(熱して柔らかくなったプラ板を原型に押し付けて変形させる方法)によって制作。丸みの強いボディ後端部も同様である。写真右の薄緑/緑のバスは併せて制作された日野のボンネットバスだが、これも機会を改めてご紹介したい。
マーカーランプのケースやエンジンフード脇のクロームの飾り、腕木式方向指示器など各部のディテールはプラ材から自作したもの。ミラーがフェンダーではなく運転席すぐ近くにあるのは、モチーフとした宇野自動車(岡山県のバス会社)ならではの特徴だ。なお車内のシート生地の色は赤としたが、これはボディカラーとのバランスなどから決めたもので、資料に基づくカラーリングではないことをお断りしておこう。ボディ外観だけでなく、車内の三方シートや運転席周りも全て自作されている。
宇野自動車の当時のカラーリングは、薄ベージュの部分をMr.カラーC1ホワイト+C43ウッドブラウン+C2ブラック、濃い茶色はC7ブラウン+C2ブラックで塗装している。