トピックはマツダ生誕100周年記念イベント
2020年の中止を乗り越え、“Gulf ながのノスタルジックカーフェスティバル2021”が5月1日(土)、2日(日)の2日間、エムウェーブ(長野市オリンピック記念アリーナ)で2年ぶりに開催されました。
今回のトピックはマツダ生誕100周年記念イベント。主役のMAZDA 767Bは展示だけでなくデモランする姿も見られました。デモランに続いて全国から集まった100台のマツダ車をはじめとしたノスタルジーあふれるクルマのパレードランはオーナーも来場者も大いに楽しみました。
このほか、自動車ライターの西川淳さんとMAZDA 767Bを所有するガレージスターフィールドの星野社長のトークショー、オーナーインタビュー、そしてグルメコーナーやショップの出展ももちろん多数あり、散財、満腹注意報も発令?されるほど充実していました。
イベントの最後にはノスタルジックカー大賞コンテストの発表があり、19人のオーナー一人ずつにトロフィーが授与されました。なんとなく気恥ずかしそうに、でも嬉しそうに壇に上がるオーナーの姿はとてもいいもの。見ているこちらも笑顔になります。
私のノスタルジーど真ん中のクルマも多くあったため全部みるだけでも大変、例によってミニカーショップでの買い物や店主との雑談もしなければならないので時間がいくらあっても足りません。日曜日だけ見たのですが、土曜日にしかいなかったクルマも多かったのでやはり2日間通しで見るべきだったと若干後悔しました。
オリンピックの感動が蘇るアリーナにずらり並んだノスタルジックカー
会場は1998年冬季長野オリンピック、パラリンピックのスピードスケートが行われたアリーナ。1998年長野と言えば思い出すのはなんと言っても岡部 孝信、斎藤 浩哉、原田 雅彦選手によるスキージャンプラージヒル団体戦金メダル獲得のドラマです。1994年リレハンメル大会での大失敗ジャンプの悪夢を呼び起こした原田選手の1回目の大失敗ジャンプ、そして2回目の大ジャンプ。「高くて、高くて、高くて、いったー!!」という実況の声もよく覚えています。
ここエムウェーブではスピードスケート女子500メートルでの岡崎朋美選手の銅メダルです。感動しました。
そんなアリーナにクルマがずらり並ぶ様は壮観。許可を得てアスリートたちのサインも見られる観客席をぐるっと一周してみた会場の様子をお届けいたします。
トークショーやデモラン、パレードも開催
トークショーではMAZDA 767Bの性能についてだけでなく、入手した経緯、グッドウッドでのクラッシュ秘話などここでしか聞けなかった初めて聞く話が盛りだくさんでした。
デモランでは会場内の人が全部集まったんじゃないかと思うほどの人たちがカメラを手に、走る姿とサウンドを楽しんでいました。
続くオーナーパレードも名車、希少車、おお?!と思うクルマが走る姿を堪能できました。私も経験がありますが、こういうパレードはオーナー自身もかなり楽しく気持ちいいもの。欠かせません。
事件はなくとも集結した覆面パトカー!?
「大都会」、「西部警察」、「太陽にほえろ!」の最終回を見届け、1987年3月に終了した特捜最前線を最後に刑事ドラマは卒業してしまったので実は「あぶない刑事」シリーズには思い入れはありません。
そうは言うものの、覆面パトカーの格好良さは変わりませんし、赤色灯を屋根にぺたっと乗せて犯人を追撃する姿はどんな刑事ドラマでも好きでした。カッコよかった。普通自動車運転免許証を取得するまでは。
実はけっこう好きだった“長い”セドリック/グロリア
うっかり見落としかけたこのクルマはバブル真っただなかの1987年にデビューし1991年まで生産されたセドリック/グロリア・ロイヤルリムジン。特殊装備車開発のために日産が設立した子会社であるオーテックジャパンが、Y31型セドリック/グロリアセダンをベースに開発したクルマ。ホイールベースが600mm伸ばされています。装備の違いによりセレクションI~IIIの3グレードから選べ、最上級グレードのIIIにはパーティション、テレビ、冷蔵庫、FAXが装着されていました。価格は約1000万円~約1500万円もしました。
ボディサイズは全長×全幅×全高:5460×1720×1440mm。排気量2960ccのVG30ET型のV型6気筒SOHCターボエンジンを搭載しています。
オーナーによると2回のマイナーチェンジを経て合計生産台数は112台だとのこと。
これだけ快適な後席なのでさぞかし家族に好評だろうと思いきや、意外に不評であまり乗りたがらないそうです。理由は目立つから。ちょっと“ヤバい”雰囲気がにじみ出ているためか、職務質問を受けることもしばしばだとか。オーナー自身もリアドアを150mm伸ばしただけの“ブロアムL”の方が使い勝手の面でもデザイン的にもお好きだとのことでした。それにしても今やお宝級であることは間違いありません。
ピラーレスかピラードか?それが問題だ
日産とトヨタのハードトップ戦争も懐かしい。セダンにハードトップが追加されたあとは、セダンはフォーマルや法人的、ハードトップはパーソナルで高級という方向性でした。
両社の大きな違いは日産がピラーレス、トヨタがピラードというセンターピラー(フロントドアとリアドアの間にある柱)の有無でした。元々がオープンカーのソフトトップに対するハードトップなので日産式が正統派と言えるでしょう。対するトヨタの方は単なるサッシュレスドア(窓枠のないドア)のセダンでしかなく、開放感で劣るそちらは単なるルーフが低く居住性を犠牲にした挙げ句のただのセダンだと言われていたことを覚えています。後席からの開放感も全然違いましたし。
ハードトップでもシートベルトをすればそこに筋ができるので若干阻害されるのですがそれでもピラーよりは全然開放感がありましたし、ピラーレスハードトップが登場した当時はシートベルトが義務ではなかったので分割して収納できるようにもなっていました。
開放感とシートベルト問題に対する解を出したのは1988年登場のマツダ・ペルソナです。このクルマはリアドアにフロントシートベルトアンカーを仕込むことで開放感と安全性の両立を実現させました。これならと思ったものの、衝突安全性を高めるためにピラーレスハードトップ自体が消え、その後サッシュレスドアもなくなってしまったのでこの工夫もこれっきりでした。
ピラーレスと言えば、1985年発売のカリーナEDでトヨタ初のピラーレスハードトップが登場しますが、1993年登場の3代目ではピラードになってしまいました。ピラーレスが特長だった日産ですが、大ヒットしたカリーナEDの対抗馬として1990年に売り出したプレセアでトヨタより先にピラーレスをやめたのはおもしろい史実です。
エンブレムにも思い出がいっぱい
いわゆるバブル前夜からバブル絶頂期にはエンブレムも重要で、オプションでゴールドが選べるクルマも多かった。グレードのエンブレムもまた重要で、低グレードなのに高グレードのエンブレムに付け替えるいわゆる“エンブレムチューン”する人も多くいました。
セドリック/グロリアならブロアム、クラウンはロイヤルサルーンが基本。最上級のブロアムVIP、ロイヤルサルーンGという最上級か否かも注目点でした。2代目ソアラの場合は3.0GTのエンブレムを見て、「なんや3.0GT LIMITEDちゃうんか」というように。
ブロアムでなければセドリック/グロリアにあらず、ロイヤルサルーンでなければクラウンにあらず、グランデ、アバンテ、スーパールーセントでなければマークII三兄弟(マークII、チェイサー、クレスタの兄弟車の総称)にあらずという時代でした。メーカーもそのあたりを承知していたのでしょう。モデル末期のマークIIにはLG(グランデの一つ下のグレード)に特別装備を追加したお買い得な“LG グランデエディション”というグレードが設定されていたこともあります。
やっぱりベンツはこれでしょ
ベンツ好きの私が一番長く見ていたのがこれ。1957年式メルセデス・ベンツ220S(W180型)いわゆる“Ponton(ポントン)”ベンツ。
縦に長い別体グリル、ラジエーターキャップの名残あるスリーポインテッドスターの台座、ボディ同色に塗られたホイールキャップ、見やすさを重視したアンシンメトリーミラー(運転席側がドア、助手席側がフェンダーのドア寄りにある)、金属製エンブレムなどこれぞベンツ。この時代のベンツには格別の存在感やありがたさがありました。いま一番欲しいノスタルジックカーはこの時代のベンツです。エレガンス賞(輸入車の部)を受賞しました。
懐かしのカミソリセンティア
このクルマがデビューしたときにはかなり驚きました。シボレー・カプリスに……という人もいましたが、登場時期が同じなので単なる偶然でしょう。
それまでのマツダ車にはなかったボディラインだったし、指がスパッと切られそうなフェンダー部(ホイールハウス)の鋭い切れ味も妙に気になっていました。4WSによる後輪の切れ角が最も大きく見えたのも印象的でした。
ブレードランナーのCMでお馴染みのRX-7
当時欲しかったクルマです。ブレードランナーの曲に乗せてスローに流れていたものの実際はけっこう攻めている感じのCMも好きでした。当時はデザインについてあれこれ言われることもありましたが私はそうは思わなかったし好きでした。
会場で出会ったすごくきれいな個体と輸出仕様にモディファイしているこの2台が気になりました。欧・亜仕様にするのは私も好きだったので。
フィアット124と思いきや……!?
1976年式VAZ LADA 21011というクルマで日本国内登録はこの1台しかないそうです。さてこのクルマの素性は……?
124はイタリア外の数カ国でライセンスやノックダウンされていましたが、これはそのソ連版です。1974年から1981年まで生産されていたようです。エンブレムにLADA 1300とあることから輸出用モデルと思われます。
人を吸い寄せるランボルギーニの魔力
“スーパーカーとは何か?”というスーパーカーの定義論議を最近どこかで聞いたような気がしますが、スーパーカーとはきっとこんなクルマのことを言うのだと思います。
見たら人が集まってくる、写真を撮る人がたくさんいる、なんだかわからないけどとにかくワクワクする、そしてセクシーなおねえさんが横に立てばクルマもおねえさんも映える、そんなクルマがスーパーカーなんだと思います。表彰式のために壇上にスタンバイしていた著名ジャーナリストも駆け下りてきて写真を撮るくらいなんですから!
例によって散財注意?
オートモービルカウンシルで教えてもらった横浜ワンダーランドマーケットに行けましたというお礼と報告のためにブースを訪れたのですが、そこにあったモデルカーにまたも目を奪われ散財する羽目に……。
なかなか自分を抑えられないので現金は最小限にしているのですが、会場前のコンビニで現金を下ろして数台買ってしまいました。「こんなモデルがあったのか!」と感情が動いたときがとても危険です。
最新のマツダ車試乗コーナーも
会場入口の試乗コーナーも盛況のようでした。
(取材・写真・文:大田中秀一)