誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマをご紹介する連載、【知られざるクルマ】。第13回の次回予告では、「海外で日本語名を持った日本車」を予定していたが、メーカーごと消えてしまった「サーブ」のクルマ「90」に変更させていただいた。でも、「えええ、これは知らないぞ」と多くの人が思うに違いない車種なので、ぜひご覧いただきたい。
900と9000は知っている……でも「90」なんてあったのか!
かつては、ボルボと並ぶスウェーデンの著名な自動車メーカーとして知られたサーブ。その起源は、1937年設立の航空機製造会社で、SAABという社名はSvenska Aeroplan AB(スウェーデン航空機会社)の頭文字を取ったものだ。TVCMやオフィシャルフォトに、戦闘機の「37ビゲン」や旅客機の「340」などを起用していたのを覚えている人も多いことだろう。
1968年には、サーブは航空機部門を含め、トラック・バスメーカーの「スカニア・ヴァビス」と合併して「サーブ・スカニア」となったが、1990年に自動車部門だけGM傘下入りして独立、「サーブ・オートモービル」が発足した。1995年にはスカニアが離れ、2009年に親会社のGMが会社更生法を申請。それを受け2010年、オランダのスパイカーがサーブ・オートモービルを買収した。その後、紆余曲折の末、最終的にサーブブランドを買い取ったEVメーカー「ナショナル・エレクトリック・ビークル・スウェーデン(NEVS)」は、2017年からサーブのブランドを使われないことを発表。これはすなわち、サーブという自動車メーカーが消滅したことを意味した。
小さな規模のメーカーゆえ生産台数は少なかったが、航空機メーカーらしい独創性と高い開発力を誇り、エポックとなる技術や装備を数多く輩出したサーブ。その技術力はNEVSに引き継がれ、サーブ自体は軍需航空機メーカーとして名を残すが、個性的な名車を生み出したサーブを惜しむ声は、今なお多い。
サーブといえば「900」(初代900、もしくはクラシック900)が思い出される。前後オーバーハングが長い独特のフォルム、ドアの内側にあるサイドシル、強く湾曲したフロントウインドウ、前方にスライドして大きく開くボンネット、DOHCターボエンジンを前後逆に搭載(バルクヘッド側に補機類がある)、サイドブレーキ付近にイグニッションキーを持つなど、個性溢れた設計は枚挙にいとまがない。
900の市場投入後、サーブは900よりも上位のメルセデス・ベンツミディアムクラスや、BMWの5シリーズに対抗するクラスへの参入を画策した。しかし、年産10万台ほどの小さなサーブには、アッパーミドルサルーンを新規開発する余力はなかった。そこで、このセグメントにあまり販売台数を見込めないが、同様に高級車が欲しかったランチアと手を組むことになった。
その後フィアット・アルファロメオもこのプロジェクトに加わり、4車種共同開発が進行。1984年、サーブはそのクルマを「9000」と名付けて発売した。フィアット・クロマおよびランチア・テーマとフロントウインドウやドアなど外装を共用するが、内装は完全にサーブ・ワールドだった。
3桁車名「900」の上に4桁「9000」が来るのは、ラインナップとしてはとてもわかりやすい。900と9000の両輪は、80年代から90年代におけるサーブの代名詞でもあり、日本でも売られていたため、少なくとも知名度はある。しかし、2桁の「90」となると、ほとんど知られていないのではないだろうか。それこそが、今回お送りする「サーブ90」である。
900までのサーブをおさらい(1)「92」〜「99」までの時代
900の元になったのは「99」というモデルで、その前身は古い順に92、93、96と続いていた。そこでここからは、900までのサーブ各車を、世代ごとに説明しよう。
冒頭で述べたように、航空機メーカーとしてスタートしたサーブ。戦前戦中には「B17」「B18」「J21」などを製造した。しかし軍用機需要が減少することを見込んで旅客機開発も行っており、戦後になって「90スカンディア」「91サファイア」の生産を開始している。
しかし航空機製造だけでは、会社の維持が難しいのも事実だったため、サーブは小型乗用車部門への参入も計画。1946年に試作乗用車の「92001(ursaab /ウルサーブ)を誕生させた。エンジンこそ戦前のDKWを模範とした2ストだったものの、モノコック構造のボディ、空力を意識した翼断面のようなフォルムは、いかにも航空機メーカーが開発したクルマらしい。
1949年には、サーブはウルサーブの量産型である「92」を発表した。市販モデルではウルサーブの膨らんだフェンダーは廃され、ホイールアーチも穿かれたが、涙滴型のフォルムは継承した。1953年からは、リアウインドウを広げてトランクフードを新設したマイナーチェンジモデルの「92B」に進化。その後も、エンジンのパワーアップ、内外装の小変更など改良を繰り返していった。
しかし2スト2気筒エンジンでは、高性能化するライバル車に比べ劣る印象は否めず、振動やパワーアップ対策の面でも不利になりつつあった。そこでサーブは、2ストのままながらもエンジンを3気筒化。排気量が減少したにも関わらず、92Bよりも5psアップの33psを発生し、ドライバビリティも大きく向上した。93も発売後の改良が進み、1958年には「93B」に発展している。
1958年には、93Bのワゴン版「95」を発表、続く1959年になって93Bも「93F」へとマイナーチェンジを行った。さらに1960年になると、93Fは「96」に置き換えられた。93F、95、96のエンジンは、排気量を841ccに拡大してパワーアップが行われていた。
さらに1966年、95/96のエンジンが2ストから4スト化された。その際、小さなメーカーだったサーブに新たにエンジンを開発する余裕はなく、ドイツ・フォードのタウヌスに積まれていた1.5L「ケルン」V4エンジンを搭載して凌ぐことになった。このエンジンを積んだモデルは、「95/96V4」として区別される。
フォード・タウヌスと、そのV4エンジンについてはこちら
https://carsmeet.jp/2020/12/23/151079-5-2/
900までのサーブをおさらい(2)〜近代サーブの原型を作った「99」
96は、92から始まる第一世代サーブの決定版となったが、ベースは1940年代の開発車種で、モダンなライバルたちの前では古さを隠せなかった。サーブもその状況は把握しており、93や96の改良と同時に、まったく新しい車種の開発に着手。1967年、「99」と名付けられた新型車を発表した。99では、ようやく「ふつうの乗用車」らしいカタチとなったが、92以来サーブのデザインを手がけてきたシクステン・サッソンによるスタイリングは、相変わらず個性的だった。
99のエンジンは、ごく一般的な直4だったが、4ストエンジンの開発経験がなく資金も少ないサーブでは、エンジンをゼロから生み出せなかったため、折しもトライアンフで開発が進んでいた1.7L・SOHCを載せることになった。エンジンの改良はその後も進み、排気量の拡大、サーブ自身が大きく手直ししたB型エンジンの搭載などが行われた。そしてついに1978年、サーブの代名詞「ターボ」が搭載される。ターボの採用は、大排気量エンジン並みのパワーと燃費を両立するためのものだった。
900までのサーブをおさらい(3)〜そして「900」の登場
1970年代に入ると、排ガス規制や北米の安全基準が厳しさを増していったが、サーブでは、手持ちの99だとそれに応じることが難しくなっていた。北米市場で存在感を持っていたサーブにとって、それらへの対策は必須だったが、99に次ぐニューモデルを生む余裕はなく、99のフロントを伸ばしてクラッシャブルゾーンを設けた新型車を設計することとした。それが1979年から発売が始まった「900」で、当初は3ドアと5ドアのみでスタートした。
900でも「ターボ」を設定したほか、4ドアセダンやカブリオレの導入、B型エンジンをさらに改良したH型エンジンの搭載、加給圧コントロール制御システム(APC)の採用、ヘッドのDOHC4バルブ化、内外装のリニューアル、低圧ターボの追加などを行いながら1993年まで生産され、80〜90年代初頭のサーブを支えた。
「99」+「900」=「90」?
900は、99よりも上位クラスを狙った車種だったこともあり、900発売開始後も、99はラインナップを削減しつつカタログに残された。99では、900と同じ新開発のH型エンジンやインジェクションの採用など、900に準じた改良を順次実施。外観もグリルやモール、バンパーの変更を行い、900に似た姿に近づいていった。
しかし、99のデザインはいささか旧態化していた。そこでサーブは、1984年になんと99の車体後半を900の2ドアセダンと共通デザインに変更。その際に車名を「90」と改名し、さらに900との近似性、メーカーとしても統一感を持たせた。つまり90は、前半分が99、後半が900という折衷車だった。
90に名前を変えた後も、900のリアサスを移植するなど改良を続けた90だったが、販売台数の低迷が進んだことから、900より一足先の1987年に生産を終えている。生産台数は約2.5万台と少なかった。
90の紹介をしようと思ったら、初代900までのおおまかなサーブ全体の話になってしまい、やはり長い記事になってしまった(汗)。時代に飲み込まれて消えてしまったメーカーのことを、この記事を読んで偲んでいただけたら……と思う。そして、次回こそ「海外で日本語名を持った日本車」をお送りしたい。