共に過ごすことになったクルマたちとの豊穣な体験【GALLERIA AUTO MOBILIA】#021

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様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回は、オートモビリアとともに育まれた夢の原動力によって、共に過ごすことになったクルマたちとの豊穣な体験ついて語ってみたい。

夢よりも速いクルマたち

(下)チシタリア202CMMでは様々なヒストリックカー・ラリーに参加し、国際的な愛好家たちと親しくなる機縁ができた。2000年にはグッドウッドにも招聘された。(左上)僕のPL17がフランスにあった頃。(右上)ミラノのクレパルディ・アレマーノMMもパナールのエンジンを搭載した忘れがたいベルリネッタ。

僕が最初に手に入れたクルマは、ブルー・メタリックのマセラティ・カムシンだった。あいにく不動車で、結局修理も叶わないままに手放してしまった。海外に渡ったらしいそのカムシンが、健在であることを祈っている。もしも、そのカムシンがちゃんと走るクルマだったら、僕のその後のクルマ人生は違う展開になっていたかもしれない。

スタンゲリーニ1100Sは2台乗り継いだが、これほど楽しいドライビングを体験させてくれたクルマはなかった。これは1938年のシルッロで、コドラはザガートのデザイナー原田さん。

その次に手に入れたのは、マトラ・ジェット。カムシンの場合は子供の頃からの憧れによっての購入だったが、ジェットの場合は僕の審美眼と理性的な取捨選択による理想のクルマの実現だった。僕はジェットには初恋の人に対するような気持ちを今なお抱いている。

昔は銀座のイエナや青山の島田洋書で何時間も海外の自動車書籍を立ち読みした。子供には入手不可能な高嶺の華だった。30代になって漸くヨーロッパの古書店で恋い焦がれた書籍を1冊ずつ買い集めていったものだ。

3台目に購入したのはパナールPL17。初期のディナ54が理想だったが、たまたますぐに手に入るところにあったのが、外装がシックな黒色、内装が赤と白の配色で、僕の好みではなかったが、アールデコ的でありパリのカフェに共通するインテリアの意匠にこれも良かろうという気持ちになったのだった。乗り始めると、パナールのちっぽけな空冷水平対向2気筒に感銘してDBやCDに至る道が開けた。

シトロエンも何台か乗り継いだが、パナールのデザイナーだったビオニールが関与したディアーヌが大好きで、当時の雰囲気を呼び起こすカタログもずいぶん収集した。今でも1台だけシトロエンを選ぶならディアーヌだ。

英国車ではMGなどの保守派には、はなから興味を感じず、アプレゲールのアバンギャルドであるロータスだけが僕の崇拝の対象だった。スポーツカーのコンセプトを追求してこれ以上削るところが無いほどに究極的なセブン、古典的に調和した美しいスタイルを纏いつつも才気煥発なタイプ14エリート。フロント・エンジンのレーシングカーの到達点であるイレブンや葉巻型フォーミュラの理想形である31を次々に購入し、その後もMk-6やMk-9を購入した。

パリで青色に黄色いヘッドライトのフェラーリ250GTルッソを見かけてから恋に堕ちた。ピニンファリーナがデザインしたもっとも美しいフェラーリだと思っている。吉田秀樹画伯と、ローマが舞台となったフェラーリの50周年イベントに参加できたのも僥倖な体験だった。

イタリア車は、ディーノやアルファロメオSZ2から始まった。両車ともとても乗りやすいクルマだったが、チシタリア202CMMの1号車、通称サヴォヌッツイ・クーペとかアエロ・ディナミカと呼ばれるチシタリアのワークスカーを得たことが僕にとってスプリングボードになった。202CMMでヨーロッパのヒストリックカー・イベントに参加し始めてから、僕の世界が大きく変質し拡大したのだった。チシタリア202CMMについては、自らの監修でモデルカーの生産も企てたが、中断してしまった。

最初は優雅なSZ2を野獣のようなTZよりも好ましく思い、s/n207とs/n206を手に入れた。後にマラネロ・コンセッショネアーズにデリバリーされたTZを購入したが、SZとは別次元のレーシングカーだった。これはスケーレックスでは珍しい1/24スケールのスロットカー。

もともと夢見ることが好きなたちで、書籍やミニカーや様々なオートモビリアに親しみながら夢を育んできたきたけれど、それらと実車は僕の中では等価なもので、互いに相まって知見を深め、豊穣な体験をさせてくれた。

エリートと同じくらいイレブンにも憧れた。ロータスは各国のレーシングカーに影響を及ぼしたが、イタリアでもイレブンのシャシーの先進性が畏怖されて、スタンゲリーニやマセラティ150Sのエンジンが搭載されるほどだった。

ディーノ246gtは、初期のLのフルレストア車と、イタリアで購入したややくたびれたSの2台に乗った。ディーノは完成したスポーツカーであり、この時代に新車でディーノを下ろした人たちこそはラッキーボーイだったと思う。

Photo:横澤靖宏/カーマガジン473号(2017年11月号)より転載

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