少年向け月刊誌『少年』『ぼくら』の付録も! 往時の子供たちを夢中にさせたプラスチック製のモデルカー【GALLERIA AUTO MOBILIA】#016

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様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回は、ポップ・カルチャーが世界中を席巻した1950〜1960年代に登場して、やがて自動車モデルの主流ともなったプラスチック製の模型を取り上げたい。プラスチックはその時代にふさわしい、軽やかでモダンな素材だった。

ウェルカムバック、プラスチックス!

子供の頃からプラスチックが大好きだった。1960年代というより、昭和30年代という言い方がしっくりくるだろうか。『少年』や『ぼくら』という漫画を主体とした少年向けの月刊誌があり、それには毎号、いくつものおまけが付録という名称で付いており、それがとても蠱惑的だった。
人間の営為というものは何でもエスカレートするもので、少年向けの月刊誌はお互いをライバル視して、付録の数を競い合っていたものだ。『少年』が6大付録を打ち出してくると、『ぼくら』も次の号では負けじと7大付録で対抗するというような競争だった。

プラスチック製完成モデルのメーカーは1960年代にはいくつもあり、IDEAL(アイデアル)はアメリカの玩具メーカーだったが、製造は香港など東南アジアの工場だった。ちょうどマテルのバービーがアメリカではなく日本で作られていたように。それにしても、タルボ・ラーゴとペガソとは、なんとマニアックな車種選択だろう。

その頃の付録には本誌より小型の判型の漫画本が何冊か別冊という名称で付いていたりしていたものだ。だが、一番の目玉は、組み立てキットだった。キットと言っても紙製で、ペーパーキットだった。ロボットや戦艦だったが、それも毎号のようにエスカレートして、大きさを競い合ったりしたものだ。山おり、谷おり、のりしろ、という言葉は、その頃覚えた単語である。でもその頃の糊は、不易糊だったか、大和糊だったか接着力が弱く、早い完成を求める子供の性急な性格ではひとつのパーツが完全に固着してから、次の段階に進むなんてことがもどかしく、接着剤が乾ききらないうちに次のパーツを取り付けようとするものだからすぐに剥がれてしまって、なかなかちゃんと完成には至らないのだった。また、奇跡的に完成したことがあっても、子供というものは、すぐにそれで遊びたがるものだから、あっという間に壊れてしまう。だから、いつも喜びよりも喪失感に打ちひしがれることのほうが多かったのである。

もともとメッサーシュミットが大好きなK氏が、自分の好きなクルマのモデルを自分のために作ったところ、友人や知人からの評判がよく、その依頼に応じて生産化したのが『リプロ玩具』の始まりだった。いわゆるガレージキット的な成り立ちの模型で、バキュームフォームという工法がどこか懐かしく、また好ましい。

その時代には、放課後の子供の行動範囲のなかに、きっと駄菓子屋さんがあって、そこでは、今なら販売もできないような合成甘味料のお菓子や、月刊誌の付録のような紙製のおもちゃもいろんなジャンルのものが売られていた。プラモデルとの出会いも、最初は駄菓子屋さんだった。漫画のキャラクターであるロボット3等兵やら鉄人28号、そしてマルサンのゴジラなど……。クルマのプラモデルも駄菓子屋さんで最初に見つけた。ジャガーDタイプがあったのを覚えている。その尾翼がついたデザインが子供には魅力的だったのだろう。プラモデルはだんだんと駄菓子屋さんでの地位があがっていき、種類も増えてきて、専用の棚ができるようになった。プラモデルとは、日本のプラモデル・メーカーの嚆矢となったマルサンの登録商標だったのだが、だんだんと普通名詞になっていった。
まだブリキのおもちゃもあった時代だが、僕たちにとっては、プラモデルのほうが新鮮で、美学的(子供にだって、美醜のセンスはあるものさ!)に隔絶したものだった。プラモデルの登場が、ティントイや少年雑誌の付録の息の根を止めたにちがいない。当時の子供達はプラ模型とかプラモとか呼んでいた。

少年雑誌の紙製模型とティントイには共通の趣きがあって、それは時には版ずれなどもある印刷で、その”いかにもおもちゃ然”としたところが、子供には逆に許せない部分だった。今なら、あの時代の稚拙な印刷や版ズレにも、ノスタルジックな(古拙な)趣向を感じ入って、高く評価してしまうのだろう。だがあの頃には、ただ古臭く思われた。たかだか10年程度しか生きていない子供だって、ノスタルジーという感情はあるし、何よりエキゾチックな事象に惹かれるものだ。プラモデルには、日本製であってもどこか外国のような、また日本の日常から離脱しているように感じられて、よけいに憧れの気持ちを掻き立てられた。また、ティントイや紙製模型は印刷によって成り立っている、という2次元的なものだが、プラモデルは3次元のオブジェとしての存在感が立派にあったのである。

プラモデルはおおむねが自分で組み立てるキットであり、そのランナーについた未完成のパーツの状態さえもが魅力的だったわけだが、今回はそのことには触れず、ここでキットではなく、あらかじめ出来上がった状態で商品となっているプラスチックモデルに話題を移そう。日本ではあまり商品化されなかったようだが、欧米では結構作られていたようで、大人になってだいぶたってから、アンティークの模型として出会った。最初はプラスチックよりもっと軽いセルロイド、そして強靭だけど重厚なベークライトへと、プラスチックの仲間の変遷があったが、1950年代後半からはいわゆるプラスチックが主流となった。キットのプラモデルよりは、部品点数が少なく、その分堅牢だった。キットの方は、たいていは塗装したりデカールを転写したりで、ディテールの追求が始まるが、プラスチック製の完成モデルはざっくりとした作りで、そのあたりがむしろ彫刻的な形態の魅力を感じさせるものが多かった。そして、ほとんどが塗装されずに成型色のままの場合が多く、それもプラスチックモデルならではの特性と言えるだろう。そう顔料によって、素材の色が変えられるところがプラスチックのメリットだ。プラスチック製モデルの魅力は、形態のおおらかな表現と、カラーバリエーションの妙にある、と言えるだろうか。

Photo:横澤靖宏/カーマガジン468号(2017年6月号)より転載

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