空気の壁を切り裂く流線型は自動車のスピードともに【GALLERIA AUTO MOBILIA】#014

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様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回は速度記録車やSF的な乗り物など流線型のモデルを愛でながら、スタイルに顕れたスピードへの憧れを語ってみたい。

速度への憧れは流線型となって

クルマとはスピードへの憧れでもある。クルマの歴史とは、速度への挑戦の歴史でもあった。風力や水力や蒸気機関や電気で動くクルマが初めて作られた頃には、クルマとはA地点からB地点への移動や、物流が一番の目的でもあっただろう。だが速度への欲望は、19世紀に蒸気機関や電気などの動力機関を得てからいやましてきたようで、その頃から速度への挑戦が記録されるようになってきた。
20世紀になると、1907年に世界で最初のサーキットであるブルックランズが英国に完成し、1922年にはイタリアでもミラノ北東にモンツァが完成。1924年には、フランスでもパリ南方にモンレリーが完成した。いずれもバンクのついた高速サーキットで、それからはサーキットでの速度記録への挑戦が始まった。

ドイツのSikuはメルクリンのような精密な模型ではなく、1955年からプラスチックを素材に子供用玩具を製造していた。写真の速度記録車は初期のレアなモデルと思われる。

また、イタリアのアウトストラーダ、ドイツのアウトバーンが開通すると、公道を閉鎖して長い直線路での速度記録が試みられた。エンツォ・フェラーリはアルファロメオの8気筒エンジンを前後に搭載したビモトーレを開発し、タッツォ・ヌヴォラーリの操縦で速度記録を樹立。ドイツではメルセデス・ベンツとアウトウニオンが速度記録をお互いに塗り替えていった。
アメリカでは、最初はデイトナ・ビーチという海岸を舞台にして速度記録が始まっている。ヘンリー・シーグレイブ少佐のサンビームやゴールデンアローに続いて、マルコム・キャンベル卿がネイピア・キャンベル、そしてブルーバードで挑戦を開始した。デイトナでのキャンベル卿の最後の記録は1935年3月の1マイル平均時速276マイル(445km/h)だった。同年9月にはボンネビルで時速301マイル(484km/h)を記録した。

銀色のこれはアメリカのミジェットーイ。バックミンスター・フラー的でもあるが、おそらくSFの宇宙船。

ユタ州ボンネビルのソルトレイク(塩湖)は1912年からスピードへの挑戦の舞台となっていたが、マルコム・キャンベル卿らの活躍で、世界中に注目されるようになった。マルコムの後には、ジョージ・イーストンのサンダーボルトや、ジョン・コブのレイルトンが活躍している。ジョン・コブは、1947年に時速400マイルの壁を乗り越え、1マイルの平均速度でも時速394マイル(634km/h)を記録した。
マルコムの息子ドナルドは海上でのスピード記録に挑戦していたが、父親の衣鉢を継いで陸上での速度記録にも挑戦し、1964年にタービンエンジンを搭載したブルーバードを開発し、オーストラリアの塩湖で時速404マイルを記録した。
その後、ボンネビルではターボジェットエンジンが主力となり、1960年代にはグリーン・モンスターを開発するアート・アルフォンスとスピリッツ・オブ・アメリカを開発するクレイグ・ブリードラブのアメリカ人同士の戦いが繰り広げられた。1965年にはクレイグは600マイル(966km/h)を記録した。グリーン・モンスターとスピリッツ・オブ・アメリカは、1960年代の日本の少年雑誌にも世界で1番速いクルマとして写真とともによく紹介されていたものだ。
1970年にはゲイリー・ガベリッチが622マイル(1000km/h)の壁を越える。そして1997年には、ブラックロック砂漠を舞台に、アンディ・グリーンがスラストSSCで時速763マイル(1228km/h)を記録し初めてマッハ(音速)を超えた。現在、イギリスではその記録を大幅に刷新する1000マイル(1600km/h)を標榜するブラッドハウンドSSCが開発中だ。

ジャン・アンドリューによるドラージュV12、実在したクルマだ。

速度記録車は、空気の壁を切り裂いていく流線型をしている。飛行機用のエンジンが、レーシングカーや速度記録車に転用されたことも多かったが、それ以上に飛行機で開発された空力も自動車に利用されてきた。速度記録車は翼のない飛行機、さらにはジェット機といった形態であるが、翼がある場合は揚力ではなくダウンフォース(負の揚力)のために採用された。
またジュール・ヴェルヌの時代のイラストからアトミック・エイジと言われたアメリカの1950年代のSFなどのイラストまで、そこに登場する空想のロケットや宇宙船も流線型である。流線型は未来の乗り物の形態でもあった。
フランスでは1930年代以降、モンレリーやル・マンで走ったレーシングカーから、カロスリーが創造したフランボワイヤンのスタイルまで流線型のバリエーションだった。
チシタリア202CMMアエロディナミカの開発者ジョヴァンニ・サヴォヌッツィは、トリノ工科大学で航空学を学んだ人だったが、その後カロッツェリア・ギアでタービンエンジンを搭載したギルダをデザインしている。クライスラーに移籍してからも、ジェット機を思わせるクルマたちを開発した。
ドイツでは、ポルシェ博士が設計したアウトウニオンGPカーからメルセデス・ベンツの速度記録車、戦後の356から911までポルシェ独自の流線型だった。自動車の形態もテクノロジーの進化とともに変わっていくが、自動車がスピードともにある限り、その形態は流線型から離れることはないだろう。

速度記録に挑戦したイギリス人を讃えるハガキと切手のセット。英国郵便局1998年の発行。シーグレイブのサンビーム、コブのレイルトン、バリー・トーマスのバブス、キャンベル親子のブルーバードなどがラインアップされている。

 

Photo:横澤靖宏/カーマガジン467号(2017年5月号)より転載

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