技術の正論こそ、すべての根源
インプレッサは実用的で乗りやすいコンパクト級スバルとして愛されているが、その名を耳にした瞬間、誰の脳裡にもWRC(世界ラリー選手権)での大活躍が蘇る。1983年から2009年までの16年間、並みいる名門や強豪を敵に回して世界のラリーステージを疾駆し、マニュファクチュアラーズ選手権を3年連続で制覇したほか、ドライバーのタイトルも数多く獲得している。
ラリーカーのベースとなったインプレッサSTi仕様の後ろ姿。ホットでハードだが、普通にも走れるほど柔軟でもあった。STiの軽量ステンレスマフラーでサウンドを楽しむファンも多かった。
だからここでは、その時代を代表する透視イラストを紹介しよう。2002年までの前期GD型だ。これを含むGD型では若手のペター・ソルベルグが初のWRC国内開催となったラリー・ジャパン(北海道)で優勝したから、日本のファンにも馴染みが深い。新井敏弘が国際舞台で頭角を顕したのも、このGD型での快走がきっかけだった。
初代インプレッサGC/GF型(1992〜2000年)。レガシィの後継車として1993年からWRCに参戦。戦績を記念して数々の限定車も発売され、「スバル教」の信者を増やた。
注目すべきは、このラリーカーが実は量産型インプレッサとほとんど変わらなかったことだ。FIAの方針変更により、1987年からWRCはグループA車両を対象として戦われることになったが、それはまさにインプレッサのためのような車両規定だった。年産(連続した12カ月間)に2500台以上(1993年からは5000台以上)生産された、つまり普通の市販車を軽く改造するだけという制約に照らしてみると、インプレッサは最初からグループAラリーカーそのもののような仕立てだったのだ。
初代の後期にはセダン、スポーツワゴンのほか2ドアのクーペも発売された。主にアメリカ向けだったが、日本でも少数だけ販売され、ラリーレプリカとしての22B-STi(500万円)も作られた。
と言うか、外観の細部まで変更を許されないグループAの規定を逆に取って、そのままベースとなる量産仕様を作ってしまったのが、インプレッサのスポーツモデル。イラストで見ると厳重なロールケージが張り巡らされているだけで、その他はほとんど量産のまま。スバル最大の自慢である低重心の水平対向エンジン(しかもエンジンの中心線が車体の中心でもあるため左右の重量バランスが優れるシンメトリカル配置)や、前後車軸へのパワーを自在に増減できる先進のフルタイム4WDなど、とっくに標準装備だった。
GD/GG型(2000〜2007年)の外観。「なみだ目」とか「ダメおやじ」と評判が悪かったヘッドライトを中心に、たびたび外観に変更が施された。ルーフ上のベンチレーターも特徴的。
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大きく印象を変えて登場した3代目インプレッサ(GE/GH/GR/GV型)。もはやワークスとしてWRCに参戦することはなかったが、独特の高機能高性能イメージは堅く守り続けられている。
開発を担当したのは、富士重工の特殊部隊STI(1988年に創立されたスバル・テクニカ・インターナショナル)で、ラリー用のグループAエンジンも、東京・三鷹の工房で、熟練工の手によって入念に組み立てられた。グループAの規定に従って最高出力は300psをわずかに超える程度。これは2004年にSTIが開発したS203にも応用され、公道用として555台だけの受注生産で限定販売された。そしてラリー車でのWRC参戦は、1990年からはイギリスの熟練職人集団プロドライブに委ねられ、本来の猛威にさらなる磨きをかけられることになった。