姫街道という優雅な名前に誘われて
江戸中期、大地震で東海道が通れなくなったとき、迂回路として旅人が行き交った脇街道がある。浜名湖北側の山中をゆく峠越えの道は、いつしか姫街道の名で呼ばれるようになる。その名前の由来には諸説いろいろあるが、今も昔も、旅する者にはじつに気持ちいい道だ。
奥浜名湖展望公園付近から眺める浜名湖。かつての姫街道・引佐(いなさ)越えと同じ風景が広がる。
毎年4月、静岡県の気賀町では『姫様道中』という祭りが催される。一般公募の地元女性がお姫様に扮し、露払いや警護の侍、腰元や小姓など、総勢120名ものこれまた公募で選ばれた人々を付き従えながら、町中を練り歩くのである。もちろん姫街道の名にちなんだ行事で、昭和27年の第一回から半世紀以上も続いている。
姫街道資料館のそばに復元された犬くぐり。四つ這いでくぐれば犬と見なされたため、地元の人は関所が閉まっている時間帯も自由に往来できたという。
本坂通りと呼ばれていた東海道の脇街道が、姫街道と呼ばれるようになったのは江戸時代の終わり頃だという。その由来には諸説いろいろあり、浜名湖南側の新居関所が『出女』の検査に特に厳しかったためとも、今切(いまぎれ)の渡しが離縁や別離を連想させるので忌諱されたためともいわれる。実際、八代将軍吉宗の生母・浄円院やNHK大河ドラマでおなじみの篤姫も、江戸に向かう時はここを通っている。
しかし、姫街道の気賀にも関所があり、そこでの検査が緩かったわけではないだろう。また、駕籠に乗る姫様たちは別として、一般の女性が山道を好んで歩いたとも思えない。
大小さまざまな入り江が美しい浜名湖北岸。
そもそも遠江の語源である「遠つ淡海」と呼ばれていた浜名湖は、室町時代までは純粋な淡水湖だった。ところが、1498年の明応大地震により湖面が1mも沈下。さらに土砂崩れで堰き止められた川が決壊し、その激流が海と湖とを仕切っていた砂浜を突き破ってしまった。こうしてできたのが今切。国道1号バイパス・浜名湖大橋で跨ぐ、太平洋への開口部である。
本坂峠の近くでは現在の国道352号ともつれるように、かつての姫街道が延びていく。
汽水湖となった浜名湖は、宝永4年(1707年)、再び大きな地震に見舞われる。これで新居の関所や宿場、今切の渡しは壊滅状態となり、東西を行き来する旅人は姫街道へ迂回するようになる。今で言えば、東名高速が通行止めになり、中央道回りで行かざるをえないような状況だ。
その後、新居関所や今切の渡しが再開されてからも、なぜか姫街道の通行量は減らず、幕府からは『大名・旗本の本坂通り通行禁止令』が繰り返し出されることになるのだ。
奥浜名オレンジロードは全長6kmほどの短い峠道だが、走りも眺めも楽しめる。