【特別対談】カーデザインの過去・現在・未来「ジョルジェット・ジウジアーロ×マツダ・前田育男」

電動化の時代、クルマの形はどう変わるのか? スポーツカーと実用車のデザインの違いは?ジョルジエット・ジウジアーロと前田育男、自動車の造形を知り尽くすふたりが、デザインについて語り合った。

家族ぐるみの交流があるジウジアーロ家と前田家

自動車デザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロについては、いまさら説明は不要だろう。初代フィアット・パンダや初代フォルクスワーゲン・ゴルフといったベーシックカーから、BMW・M1やマセラティ・ボーラといったスーパーカーまで手がけ、自動車の造形に大きな影響を与えたカリスマだ。

【左】ジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)/1938年、イタリア・ピエモンテ州に生まれる。17歳からフィアットのデザイン部門で働くようになり、59年にベルトーネに移籍。カロッツェリア・ギアを経て1968年にイタルデザインを設立。1981年には自動車以外のデザインを手がけるジウジアーロ・デザインも立ち上げた。【右】前田育男(Ikuo Maeda)/1959年、広島県に生まれる。京都工芸繊維大学卒業後、1982年にマツダ(当時は東洋工業)に入社。北米デザインスタジオやフォード・デトロイトスタジオなどの海外のデザイン拠点も経験して、2009年にデザイン本部長に就任。デザイン担当常務執行役員を経て、現在の肩書はエグゼクティブフェロー。

いっぽう、“魂動デザイン”というコンセプトを掲げ、自動車デザインの可能性を広げたマツダの前田育男の名前も、自動車史に長く残るはずだ。彼が陣頭指揮を執ったマツダCX-5やコンセプトカーのRX-VISIONは、「もう新しい形のクルマは生まれないかもしれない」という諦めムードを一掃したのだ。
2023年秋にジウジアーロ氏が来日した際に、ふたりの異能デザイナーの対談が実現した。実は、ふたりの間には浅からぬ縁がある。前田氏のご尊父である前田又三郎さんは、かつてマツダのデザイン部長を務めたデザイナーであり、若き日のジウジアーロ氏と一緒に仕事をしているのだ。
ジウジアーロ氏は、ベルトーネに在籍していた1960年代初頭、マツダ・ルーチェのデザインを手がけている。1966年に発表されたルーチェの写真をお見せすると、ジウジアーロ氏は「いま見てもこのクルマはモダンです」と懐かしそうに目を細めた。

「自動車のデザインはこれからさらに面白くなる」ジョルジェット・ジウジアーロ、「積み上げてきたクルマの様式美を守りながら進化させる」前田育男

その様子を見ながら、前田氏はこう語る。
「モダンだし、エレガントでもあります。うちの家にもこのクルマがあって、親父が運転していました。私事ですが、私は(ジウジアーロ氏のご子息の)ファブリツィオさんとは友人で、時々食事をする仲なんですよ」
つまりジウジアーロ家と前田家は2世代に渡り、家族ぐるみで交流があるのだ。したがっておふたりの対談は、クルマの写真を見ながら、実にリラックスしたムードで進行した。

スーパーカーより実用車のデザインの方が頭を使う

ジウジアーロ氏はかねてから、自身が手がけたクルマで一番気に入っているのは初代フィアット・パンダだと公言している。そこで、実用車とスポーツカーのデザインの違いをおふたりに尋ねた。すると、まずジウジアーロ氏が身振り手振りを交えて、情熱的に答えてくださった。
「スーパーカーをデザインするのは、ある意味で簡単です。好きなように描いて、そこからベストのデッサンを選べばいい。サイズの制約も、経済的なリミットもありません。いっぽうパンダの場合は、コストの制約があり、コンパクトで軽くして欲しいけれど室内は広くしろというリクエストもありました。だから、スーパーカーをデザインするときよりも頑張って頭を使う必要がありました。しかし、そうした条件をクリアして問題を解決しながらデザインを進めていくことは、大きな達成感が得られるのです」

マツダの市販モデルのなかでもジウジアーロ氏のお気に入りの1台がマツダ3ファストバック。「ここがブラーボ」と Cピラーのあたりを指差す。

前田氏はじっくり考えてから、次のように答えてくださった。
「ジウジアーロさんがおしゃる通り、確かに実用車のデザインにはいろんな制約があります。市場の要求、サイズ、コストなどの条件に合わせながらベストな回答を探し出す作業の連続で、最高の妥協ラインを見つけ出すバランス感覚と粘りが強さが必要です。いっぽう、スポーツカーは、ブランドを表現することが最も重要となります。ブランド価値を最大化するための道具、宝石のようなモノなので一切の妥協は許されないし、デザイナーもそのカタチや質に妥協を許さない、高い美意識と哲学が必要です」

「広島では宮島に行った」と懐かしそうに語るジウジアーロ氏。

ここでジウジアーロ氏は、「パンダのエピソードをひとつ披露しましょう」と、いたずら小僧のような表情で微笑んだ。
「1976年だったと思いますが、当時の私はイタルデザインという会社を経営していました。7月の終わりに、フィアットの(カルロ・デ・)ベネデッティ副社長がやって来て、フランス風のクルマをデザインしてほしいと私たちに依頼したんです。でも、バカンスのシーズンです。私は、大丈夫、9月になったらすぐにデザインする、と伝えました。ところが彼は、9月では遅すぎるからすぐにデザインを始めろと言うんです。仕方がないので私はサルデーニャ島に仕事道具を持って行き、朝は泳いで午後からデッサンをするというバカンスを過ごしました。イタリア人としては最低のバカンスです(笑)。そして約束通り8月15日にデッサンを提出しました。すると、バカンスなのでエンジニアはだれひとり出勤していないと言われました。マンマ・ミーア! 私はもう、トリノには帰らないと伝えました。それで私のバカンスは終わりです(笑)」

「私はミウラの父だと言うことはできません」

懐かしい話題から、テーマは現在、そして未来のクルマへと移っていく。ジウジアーロ氏は、BEVのデザインについて、「とても面白くてチャレンジングだと思います」と語る。
「大きくて重たいエンジンの存在を前提としない電動車両は、広いスペースが使えるようになります。私は、自分がクルマの背を高くした最初のデザイナーだと思っています。ゴルフにしろパンダにしろ、短い全長はそのままに、少し屋根を高くすることで合理的にスペースを確保しました。BEVのレイアウトについても、様々な角度からアプローチができるでしょう」

「わが家にもルーチェがありました」と、前田氏も当時を振り返った。

ジウジアーロ氏のこの発言を受けて、前田氏は同意をしながらも次のように述べた。
「スペースの使い方は大きく変わり、その利点をどう活かすか? 多くのオポチュニティ(好機)があると思います。加えて、我々デザイナーはいろいろな選択肢を探求しながら、新たな時代に向けたカーデザインを創出していくことが必要だと考えています。軽量化、空力性能向上など、あらゆるエネルギー消費、抵抗を減らしていくチャレンジと同時に、その過程で今まで積み上げてきたクルマの様式美をどう守り、どう進化させていくのか? 我々デザイナーが真剣に取り組むべき課題だと考えています。新しいことだけが価値ではありません」
ジウジアーロ氏は、この前田氏の言葉に大きくうなずいた。
「以前、コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステでRX-VISIONを見ましたが、古典的なモチーフを使いながら新しいデザインになっていると感じました。また、先日のジャパン・モビリティショー2023で拝見したICONIC SPも、その流れを感じさせるもので、実に美しいクルマでした」

1960年代の写真を見ながら、当時の思い出話に花が咲いた。

そしてジウジアーロ氏が「あのコンセプトカーの市販化は?」と尋ねると、前田氏は「まだ未定ですが、プロダクトにしたいですね」と答えた。
自動車デザインにまつわる雑談のなかで、話題がランボルギーニ・ミウラに及んだ。このクルマのデザイン開発が始まった時点では、ベルトーネに在籍していたジウジアーロ氏が担当していた。けれども完成した時にはジウジアーロ氏はすでにベルトーネを離れていて、代わって腕を振るっていたのがマルチェロ・ガンディーニだった。ジウジアーロ氏は、笑いながら「その話はみんなから聞かれます」とおどけた仕草を見せた。
「私は、自分がミウラの父だとは言えません。確かに、私が描いたモチーフの一部がある。けれども友人でもあるマルチェロが素晴らしい仕事をしたことは間違いありません。ひとつだけ言えるのは、彼がミウラの後でデザインしたクルマを見れば真実がわかるでしょう、ということです」
前田氏は、ジウジアーロ氏の言葉を聞きながら、にこやかに微笑んでいる。名デザイナー同士のクルマ談義は、時間の制約がなければいつまでも続きそうだった。

【Giugiaro’s pick up cars】
フィアット・パンダ

フィアットの副社長だったカルロ・デ・ベネデッティの「フランス風の実用車を」というリクエストに応えてジウジアーロがデザインした初代パンダ。1980年にデビューしてから2003年まで生産された長寿モデルだった。

マツダ・ルーチェ

ファミリアのひとつ上のクラスを狙ったのがルーチェ。ベルトーネ在籍時のジウジアーロがデザインを手がけ、1966年に発表された。クリーンでシンプルなスタイリングは、当時の自動車ファンの目に新鮮に映ったという。

ランボルギーニ・ミウラ

1965年のトリノショーで、若手エンジニアが展示したシャシーをフェルッチオ・ランボルギーニが注目。ベルトーネにボディのデザインを依頼した。1966年のジュネーブ・ショーでデビューするまでのいきさつは本文にある通り。

マツダ3

ジウジアーロが近年のマツダ車のなかでも気に入っているのが、マツダ3。特に写真のファストバックが美しいと語った。前田育男氏は2022年、このクルマのステアリングを自ら握り、スーパー耐久レースに参戦した。

マツダ ICONIC SP

2023年のジャパン・モビリティショーにマツダが出展したコンパクトなスポーツカーのコンセプトモデル。レイアウトの自由度が高い2ローターRotary-EVシステムを採用することで、ジウジアーロもうなる造形美を実現した。

 

リポート=サトータケシ フォト=岡村昌宏(CROSSOVER) ル・ボラン2024年3月号より転載

注目の記事

「ル・ボランCARSMEET」 公式SNS
フォローして最新情報をゲット!