ツインカム追加後のマイチェン・モデル
ホンダにとって1980年代は、今も人気の高い車種を次々と発表していた、まさに脂の乗り切った時代であったが、その中でも特に現在も復活を望む声が聞かれるのは、コンパクトなスポーティーカーであったCR-Xではないだろうか。三代目・デルソルを最後に消滅したCR-Xだが、後にはハイブリッドスポーツのCR-Zがそのイメージを受け継いでいた。
【画像14枚】当時の感覚が随所に横溢した初代CR-X後期のカタログを見る!
初代CR-XであるバラードスポーツCR-Xは、1983年7月、シビック/バラードの派生車種でありながら、そのモデルチェンジに2ヶ月ほど先立ってデビューした。その誕生の影に窺えるのは、いまひとつパッとしないバラードを盛り上げ、ひいては、バラードの販売チャンネルであるベルノ店の看板車種にしようという狙いである。
スポーティさを全身で表現した小気味よいボディスタイル、シビックよりさらに短いホイールベースがもたらすクイックなステアリング、そして軽量な車重による軽快な走り。ボディ各部には様々な新素材が使用されており、最軽量モデルで重量760kgであったという。その操縦性は、”FFライトウェイト・スポーツ”という新ジャンルを確立してしまうほどインパクトのあるものであった。当時のホンダのラインナップは、あのシティを別とすれば初代クイントや2代目アコード/初代ビガーなど、地味なモデルで構成されていただけに、初代CR-Xはかつてのホンダらしさを色濃く感じさせるモデルとして、大いに歓迎されたのである。
初期のバラードスポーツCR-Xは、1.3Lのベーシックグレード「1.3」と、1.5Lの「1.5i」というラインナップであった。エンジンはいずれも直4のSOHC、当時のホンダ自慢の12バルブ(1気筒あたり3バルブ)ユニットである。登場翌年の1984年11月には、1.6LのDOHC 16バルブ(最高出力135ps)を搭載したトップモデル、Siが加わっている。これは兄弟車であるシビックと同時に行われたモデル追加で、シビックSi同様にCR-XのSiも、エンジンフードにパワーバルジが付くのが外観上の特徴だった。
1985年9月にはマイナーチェンジを実施。外観ではフロントマスクが凛々しい表情に変わったのが、最も目につくポイントであろうか。それまでのセミリトラクタブル機構は廃され、奥まっていたヘッドライトには表面にカバーが付いた。リア周りでは、テールランプの配色などは変わらないものの、全体にスモークがかけられている。この変更を経て、二代目CR-X(バラード~の名前は落とされた)へとモデルチェンジしたのは、1987年のことであった。
随所にバブル直前期の雰囲気が溢れる
さて、ここでご覧いただいているのは、この初代CR-Xの後期型カタログである。サイズは365×257mm(縦×横)と、かなり縦長だ。このため前回のセドリック同様、中央でふたつに折り畳んだ跡が付いている点はご少々いただきたい。ページ数は表紙を含めて16ページ。カタログの発行年月ははっきりとは表記されていないが、「本カタログの内容は昭和60年9月現在のものです。」と断り書きがあるため、後期型への移行と同時に作られたものであろう。
使用されている紙はゴワゴワとした質感のもので、分かりやすく言うと新聞紙に近い。画像から色調に違和感を嗅ぎ取っている方もすでにいらっしゃるのではないかと思うが、それはこの紙質が原因だろう。と言っても、これは決してコストをケチったとか、そういうことではなく、あくまで意図したものと思われる。この頃は、こういうのが「オシャレ」だったのだ。
長体かつ斜体の文字なども、この当時流行のスタイルである。若い男女のモデルを使い、肝心のクルマよりも女性が手前に大きくあしらわれていたり、「2人には~」といったキャッチが多用されていたりといったところからは、当時のホンダがどういう層をユーザーとして想定していたのかも窺い取れるだろう。
余談だが、このカタログは筆者が小学生の頃にベルノ店でもらってきたものだ。当時、自動車カタログ集めがクラスでちょっとしたブームになっていたのである。ファミリーカーとは違って、子供にこんなカタログを渡しても顧客獲得には全く結びつかなさそうだが(家族ではなく同級生とふたりでもらいに行った)、応対してくれたセールスマンはいやな顔なども見せずカタログを渡してくれたと記憶している。当時はまだそんな時代だったのだろう。
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