丸ハンドルを装備して先進性をアピール
軽自動車の三輪トラック、つまり軽オート三輪は、三輪トラック市場が縮小しつつある1950年代後半に確立された製品ジャンルである。その立役者が1957年登場のダイハツ・ミゼットであることはよく知られているが、そのヒットを受けて各社から発売された様々な軽オート三輪については、その名をいちいち知る人も少ないであろう。ここで採り上げるヂャイアントコニーも、そんな1台である。
【画像28枚】プラ板から見事作り出された軽オート三輪を見る!
愛知機械工業のヂャイアントコニー(AA27型)は、1959年3月に登場した。同社は、自動車に詳しい人なら知る通り、現在は日産のグループ会社となって、エンジンや変速機の開発・製造などを行っているが、この当時はまだそうした存在ではなく、独立したひとつのメーカーであった。そのルーツは、1898年に設立された愛知時計製造株式会社(現在は愛知時計電機株式会社)に遡ることができる。同社の航空機部門が1943年に愛知航空機株式会社として独立、これが戦後に新愛知起業株式会社として再建され、そして1952年に社名を愛知機械工業と変えたのである。
同社では、新愛知起業時代の1947年に、三輪トラック「ヂャイアント」の製造・販売を開始。ヂャイアントはオート三輪としていち早く密閉キャビンや丸ハンドルを導入し、その先進性をアピールしてきた。そんな愛知機械工業が1959年に市場へ投入した軽三輪のヂャイアントコニーだが、その内容はミゼットの方向性とは正反対で、それまでのオート三輪の縮小版といった趣である。16インチの大径タイヤを装着、ホイールベースは長くと、ある意味で保守的なものであった。
エンジンは16hpと、ミゼットの2倍のハイパワーであったが、何よりもその特徴は、同社のヂャイアントと同じ丸ハンドル・2人掛けのシートであろう。こうした点は、当時の謳い文句で言えば「乗用車ムードを採り入れた」ものである。全長は2940mm、全幅1235mm。エンジンも強制空冷式・水平対向の2気筒359ccの4ストロークで、自動車としてはミゼットよりも本格的なものだ。
なお、当時のカタログなどには「ヂャイアントコニー」ではなく「コニー」とのみ記されており、愛知機械工業としては車名はあくまでコニーであったようだ。「Coney」ではウサギの中でも特にアナウサギを指すようだが、この車名の「Cony」の場合はウサギを指す古語であるらしい。この名は四輪車にも受け継がれ、同社はコニー360の名で軽トラック/ライトバンを、コニーグッピーの名で軽ピックアップを送り出している。
プラ板工作を駆使してフルスクラッチ!
さて、以前に記事にしてお目にかけた軽オート三輪のホープスターやハンビー同様(下の「関連記事」参照)、ヂャイアントコニーのプラモデルは存在しない。ここでお目にかけているのは、それら同様に1/24スケールでフルスクラッチした作品である。作者は同じく周東氏で、制作法はそれらと同じ、ヒートプレスをメインとしたものだ。
ヒートプレスやプラ材によるスクラッチ部分については写真もご覧いただきたいが、注目したいのは、フロントフェンダーの原型をホープスターと共用していることである。こうした割り切りは、もちろん実車の形状をしっかりと観察することから導き出されるものである。それ以外については、荷台はもちろんプラ板の箱組みによるもの。タイヤはエレール製ルノー4CVのものを流用しているが、ホイールはヒートプレスの自作品だ。