誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマを紹介する連載、【知られざるクルマ】。第23回は、歴史に埋もれたマイナーなアメリカン・スポーツクーペをご紹介しよう。
と言っても、アメリカ車の2ドアクーペは、その長い歴史上で膨大にあるので、今回は下記の条件を設定。この中からマイナー度が高いクルマを選ぶことにした。
(1) 2ドアスポーツクーペが最後に花開いた、1980年代に生産・登場したモデル。
(2) 2ドア(もしくは3ドア)専用車体を持ち、ノーズをセダンと共用する車種は除外。
(3) スポーツカー、スポーツクーペ、スポーティカー、スペシャリティカー、GTカーを対象とし、キャラクター的にパーソナルクーペとして開発されたモデル、およびそのスポーティグレードは除外。
(4) “一般的に有名” なモデルも除外(例:カマロ、コルベット、マスタングなど)
【GM編・その1】 レプリカベースとしても有名な「ポンティアック・フィエロ」
そこでまずは、1980年代アメリカン・スポーツカーの中でも、「知っている人は知っている」度が高い「ポンティアック・フィエロ」からスタートしたい。その前に、GM(ゼネラルモーターズ)には、いくつか「ディビジョン」があるので、大前提としてそこから記そう。
1980年代、GMには下記のように、微妙に性格を分けた5ブランドがあり、同一モデルで名前や仕様を変えた「バッヂエンジニアリング」によって車種展開を行っていた。
・主力大衆ブランド=シボレー
・スポーティなイメージのブランド=ポンティアック(2010年消滅)
・オーソドックスな中級〜高級車ブランド=オールズモビル(2004年消滅)
・上品な高級車ブランド=ビュイック
・最上級ブランド=キャディラック
ポンティアックブランドから1984年に登場したフィエロは、アメリカ車初のミッドシップスポーツカーである。基本的ななりたちは「フィアットX1/9」や、「トヨタMR2」と同様、FF乗用車のパワートレーンを後部に反転、足回りを他車からの流用という手法。安価なコミューター的スポーツカーという性格も似ていた。
しかし、鋼管スペースフレームシャーシにプラスチックのボディパネルという、低廉な量産スポーツカーには見合わないほど凝った構造を採用していて話題になった。当初は2.5Lの直4エンジンだったものの、1985年にはV6エンジンを獲得。さらに翌年ファストバックスタイルに変更、1988年には前後サスを新設計して、よりスポーツカーとしての性能を高めたが、売り上げの回復にはつながらず、同年で生産を終えてしまった。
【GM編・その2】ビュイックが2シータースポーツカーを作るとこうなる?「ビュイック・レアッタ」
1970年代には、スポーティな意匠を盛り込んだ2ドアスペシャリティーの「スカイホーク」を販売していたビュイックだが、それ以降、明確にスポーツカーと定義される車種は生まれなかった。そんな中、1988年に突如、2シータースポーツカーという、およそビュイックらしくないモデル「レアッタ」が登場する。他車種と混製せず、ミシガン州に建てられた「レアッタ・クラフト・センター」の専用ラインで生産していたことから高価なクルマとなり、3年間で2万台ほどを生産して、販売終了となった。
【フォード編・その1】ムスタングの兄弟車だった「マーキュリー・カプリ」
続いてはフォード編である。フォードには3つのディビジョンがあり、同一車種のバッジ変えモデルを用意していた。
・主力大衆ブランド=フォード
・上級車ブランド=マーキュリー(欧州フォードの北米版もここで販売。2011年消滅)
・最上級ブランド=リンカーン
フォードのスポーティなクーペといえば、現在も生産が続く「マスタング」が有名だが、1980年代には、マーキュリーブランド向け兄弟車として「カプリ」を用意していた。当初は、それまで販売していた欧州製カプリの印象を引き継ぐべく、ボディを3ドアハッチのみとするなど、どことなく欧州車の雰囲気を漂わせていた。「ブラックマジック」や「クリムゾンキャット」など特別仕様車の販売、リアハッチのデザイン変更(膨らんだガラスなので「バブルバック」と呼ばれた)、性能向上などを相次いで行なったものの、1986年で生産が終了した。
なお、前身である欧州製カプリについては、この連載で過去にまとめているので、ぜひご覧いただきたい。
【知られざるクルマ】 Vol.13 フォード・カプリ……ヨーロッパで成功した “ミニ・マスタング”
https://carsmeet.jp/2021/01/08/151079-6/
【フォード編・その2】知られざる度、ほぼ満点?……FFスペシャリティ「フォード EXP /マーキュリー LN7」
さてさて。ここまで紹介したフィエロとカプリでは、「まだ有名なクルマ」と思う読者諸兄も多いに違いない。そこでここからは、グーンとギアをあげる。その先鋒は、「フォード EXP」に頼むことにしよう。
フォードEXPは、フォードのサブコンパクトカーで、欧州フォードとの共同設計車「エスコート」(欧州エスコートとしては通算3代目)のプラットフォームを用いて開発されたスペシャリティカーだ。登場は1982年。全長約4.3mの(アメリカ車としては)コンパクトな2シーターの2ドアクーペである。実質的には、1971年から1980年まで販売されたスポーティなサブコンパクトカー「ピント」の後継車だった。明らかなノッチバッククーペルックだが、実際はテールゲート付きで、カエルの目を四角くしたような飛び出たヘッドライト、スリットが入るだけのグリルレスな表情も特徴だった。
しかし1986年の改良では、その独特なフロントマスクを、ベース車のエスコートに近いデザインに再設計して、平凡なデザインに。車名も「フォード・エスコートEXP」に改められたが、販売台数は上向かないまま1988年に姿を消している。
さらに、このフォード EXPには、「マーキュリーLN7」という兄弟車があった。もはやここまで来ると「知られざる度満点」なクルマだ。ボンネット先端のスリットの数、テールゲートデザインの違いなど以外は、搭載エンジンを含めほぼEXPに準じていた。もとより期待したほど売れなかったEXPなのに、LN7は輪をかけて売れず、1982年・83年の2年間で販売をやめてしまった。
【クライスラー編・その1】源流を欧州車に持つ「プリムス・ホライゾンTC5」&「ダッヂ・オムニ024」
ラストは、ビッグ3 の一翼・クライスラーであるが、ここでもまた、1980年代における同社保有ディビジョンの説明から入りたいと思う。
・大衆ブランド=プリムス(シボレーやフォードに相当。2001年消滅)
・吸収したAMCの受け皿ブランド=イーグル(1999年に消滅)
・スポーティかつ中〜上級車ブランド=ダッヂ
・最上位ブランド=クライスラー
そのクライスラーは、1960年代に入ると積極的に海外展開を開始。イギリスの「ルーツ・グループ」とフランスの「シムカ」を買収して「クライスラー・ヨーロッパ」を発足させ、旧ルーツ・グループとシムカの車種をキャリーオーバーして販売したほか、両社の技術を用いて、世界中のクライスラーグループで販売できる「世界戦略車」の新規開発を進めた。
その結果1977年に生まれたのが、「クライスラー・シムカ・オリゾン(フランス)/クライスラー・ホライゾン(イギリス)」と「プリマス・ホライゾン/ダッヂ・オムニ(アメリカ)」だった。VWゴルフを仮想敵とする、横置きエンジンのFFハッチバック車だ。その技術は、クライスラーのFF化を進めた立役者「Kカー」の礎になった。
・クライスラーの欧州進出に関しては、こちらもご参照あれ。
【知られざるクルマ】Vol.16 「ステランティス」誕生! でもかつて、プジョーはクライスラーと関係があった?
https://carsmeet.jp/2021/02/26/150868-5/
そのFFシャーシを生かし、2ドアボディを載せたのが、1979年デビューの「プリマス・ホライゾンTC3」と「ダッヂ・オムニ024」だ。欧州らしい雰囲気を消し去り、いかにもアメリカのスポーティカーというスタイルと装飾を持っていた。登場後はエンジンを換装したり、車名を単なる「TC3」と「024」に変えたりしたものの、販売開始から芳しくなかった売り上げは、最後まであまり改善しなかった。
【クライスラー編・その2】伝説のシェルビー仕様も存在した「2代目ダッヂ・チャージャー」と、兄弟車「プリムス・ツーリズモ」
この章で書く「5代目ダッヂ・チャージャー」と兄弟車「プリムス・ツーリズモ」は、実際には「プリムス TC3」を「トゥーリズモ」に、「ダッヂ024」を「チャージャー」に改名して誕生しただけのモデル。それぞれ、024とTC3のスポーツパッケージとして用いられていた名称が、1983年に車名に昇格したものだ。
しかしチャージャーという名前は、かつてのクライスラー製マッスルカーの代名詞のひとつでもあったため、直4エンジンのFFサブコンパクトカーでは、少々名前の荷が重すぎたようにも思う。
【クライスラー編・その3】伝説のマッスルカーの名を引き継いだ「ダッヂ・デイトナ」&兄弟車「クライスラー・レーザー」
最後は、1984年にデビューした「ダッヂ・デイトナ」と「クライスラー・レーザー」で締めくくろう。先のダッヂ024/チャージャー、プリムスTC3/ツーリズモに似たデザインだが、車格的にはひとつ上に当たる。設計の下敷きは、セダンやスポーツカーからリムジンやミニバンまで使われた「Kカー」というFFプラットフォームだった。チャージャーと同じく、伝説のマッスルカー「チャージャー・デイトナ」から名を譲り受けているが、このクルマで、かつての速いアメリカ車の栄華を取り戻そう、というクライスラーの意気込みがあったからではなかろうか。
ダッヂ・デイトナの兄弟車「クライスラー・レーザー」は、クライスラーとしては初の2ドア高級スペシャリティカーだった。当時のアメリカン・ラグジュアリーの法則に沿った華やかな雰囲気は、デイトナとの大きな違いだったが、デイトナに比べて売れ行きが悪かったため、わずか2年で販売を終えている。後継車は、三菱・エクリプスのバッジ変えモデルで、1990年に登場した「プリムス・レーザー/イーグル・タロン」だった。
SUV時代の現在では、大幅に種類を減らしている2ドアクーペ。アメリカに絞り、さらに1980年代だけでもこんなに出てくるのだから、興味は尽きない。次回も、アメリカン・2ドアから、これまた知られざる「とびきりのラグジュアリーモデル」を2つ取り上げたいと思う。お楽しみに。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。
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