マセラティ兄弟と、そのスピリットを引き継いだ人たち【GALLERIA AUTO MOBILIA】#028

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小さな断片から自動車史の広大な世界を管見するこのコーナー、今回はレーシングカーを造ることに情熱を傾けたマセラティ兄弟と、そのスピリットを引き継いだ人たちについての思い出を語ろう。

冒険者たち

モデナのパニーニ・コレクションは戦後のマセラティの主要モデルを俯瞰できるミュージアム。バードケージも2台あるばかりか、その特徴的なフレームも展示されている。極めて細い鋼管で、いかに軽量であるのかを視覚的にも想像できる。

自動車は誕生するとすぐに競争が始まり、それが宿命となった。絶え間ない技術開発とそれを操るドライバーによる競争が不断に継続してきたのがモータースポーツで、その第一線に携わっている人々は、並外れたファイターに違いなく、現代の冒険者と言っていいだろう。

レーシングカーであっても妥当な価格の商品という制約のなかで、最大限の性能を発揮するのがマセラティの真骨頂。エンジンや足まわりは200Siの改良型で、フレームに軽量かつ強靭な新機軸を打ち出したのがバードケージ。

マセラティ兄弟もそんな冒険者だった。小さな町工場に過ぎなかったのに、巨額の開発費を投入した強大なライバルたちをしばしば打ち負かした。彼らは、自動車開発の天才であることはもちろんだが、超人的な努力家であり、ファイターであったことだろう。そうでなければ、長年にわたってドンキホーテのような戦いをライバルたちに挑めるはずがない。ヴァルツィ、カンパーリ、ヌヴォラーリなど当代一流のレーサーたちに支持され、多くの勝利がもたらされ、名声を確立した。

最初は2リッター・クラスのティーポ60が6台作られた。基本的に同じ車体に3リッター・クラスのエンジンを搭載したティーポ61が派生し、さらにミッドシップとなったティーポ63と64が作られ、最終的にV12搭載モデルも開発されている。

1938年にマセラティ兄弟は実業家オルシに経営権を譲り、10年という契約期間が過ぎると、マセラティから離脱した。

CAMORADIとはCasner Moter Racing Divisionの略称によるチーム名。マイアミのパイロットで、自動車販売業のロイド・キャスナーが、初めてマセラティでレースに参戦した時、そのポテンシャルに震撼し、成功を確信して作ったチームだ。

しかし、それからのマセラティ兄弟無きマセラティもまた、マセラティの名前に恥じないレース活動を継続したのだった。コロンボやマッシミーノに続いて、ジュリオ・アルフィエーリを設計者に擁した。A6から始まり、A6GCS、150S、200Si、300S、そして’57年の450Sまでのスポーツカーが世界中のレースで優勝を獲得したし、F1でも’57年にはチャンピオンとなった。

マセラティは常にル・マン優勝の可能性を持ち続けていたのだが、’65年のルマン・テストデイでのロイド・”ラッキー”・キャスナーの悲運の事故死によりその可能性が潰えた。同年、ティーポ65の出場が最後となった。

アルフィエーリは’59年には顧客の希望に応えてT60を開発した。T60は先端的なレーシングカーに見えたが、エンジンや足まわりなどは200Siを改良した熟成モデルで、比較的安い価格設定だった。ただし、4気筒2リッター・エンジンで最大限の性能を発揮するために軽量化を突き詰め、細い鋼管を鳥籠のように組み上げたフレームを採用した。T60に3リッターに拡大したエンジンを搭載したのがT61で、ロイド・”ラッキー”・キャスナーは、’59年12月のバハマのスピードウィークでキャロル・シェルビーにT61の操縦を委ねた。結果はリタイアだったが、そのポテンシャルに成功を確信したキャスナーはレース・チーム、カモラジを編成して、’60年のシーズンを戦った。

カロッツェリア・ファントッツィによるA6GCSのスタイルは、これ以上削りようがないほどミニマムで、しかも美しいデザインとして評価が高い。バードケージは、その発展型にふさわしい秀逸なボディを持つ。

初戦のブエノスアイレスではダン・ガーニーが乗って予選2位を獲得したが、決勝ではリタイア。続くキューバGPでは、スターリング・モスが乗って優勝を遂げた。モスはニュルブルグリンクでもT61で優勝をもたらした。翌’61年にはキャスナー自身の操縦で、ニュルブルクリンクとルーアンで優勝を遂げた。キャスナーも冒険者と呼ばれるのに価する男だった。

A6GCSとバードケージの間に開発/市販された300Sや150Sなどは、市販レーサーとしてプライベーターにも扱いやすく、しかもタフネスだったので、世界中のレースで優勝を飾った。

その後もマセラティは顧客の注文によって、レーシングカーを開発したが、1965年のル・マンが最後のレースとなり、彼らの冒険は終焉を迎えた。

モノポストがマセラティの本流だった。インディ500における2連勝やF1世界チャンピオンを獲得したばかりか、戦前から有力なレーサーに愛好され、世界中のレースで夥しい勝利をあげてきた。

 

Text:岡田邦雄/Photo:横澤靖宏/カーマガジン480号(2018年6月号)より転載

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