失われた顔を求めて…!フジミ製プラモ「GX71チェイサー」を徹底リフレッシュ・前編【モデルカーズ】

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三兄弟いちのスポーティモデル

トヨタのラインナップからマークⅡの名が消えて久しいが、その兄弟車であるチェイサーやクレスタはそれよりさらに先に消滅している。マークⅡがライバルとした日産スカイラインが今も健在であるのと比べると感慨もひとしおであるが、三兄弟の中でも特にチェイサーは、スカイラインへの対抗馬として生まれた車種であった。

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マークⅡはハイオーナーカーとして1968年に登場して以来、同じような車格の日産ローレルとは互角に戦ってきたが、スカイラインのスポーツイメージには歯が立たず、特に二代目・X10/20型系においては惨敗を喫した。そこで、高級サルーンとしての訴求はマークⅡが担い、スポーティムードの強調はもうひとつ新たな兄弟車の領分とする、二面作戦を採用することになった。そのようにして1977年6月に発売されたのが、初代チェイサーである。命名の由来は、スカイラインを追う者=チェイサー、であるとも言われている。

この初代チェイサーは当時のX30/40型系マークⅡをベースに、ボディ前後のデザインやボディカラーの設定を変えたもので、4輪独立懸架サスペンションをアピールしてはいたが、全車がそれというわけではなく、性能面でマークⅡを上回る部分があったわけでもない。ボディは4ドア・セダンと2ドア・ハードトップがあった。二代目チェイサー(1980~1984年)もほぼ同様の成り立ちのモデルであり、こちらは4ドアのセダンとハードトップとなる。この世代では、新たな兄弟車としてクレスタも加わった。

マークⅡは1984年8月にフルモデルチェンジを行い五代目・X70型系に移行したが、同時に兄弟車であるチェイサーとクレスタも世代交代を果たした。マークⅡには4ドアのハードトップとセダンが用意されたが、このときチェイサーは4ドア・ハードトップのみとなっている。スタイリングは先代からの発展形というべきものだが、チェイサーは直立気味のフロントエンドとボディカラーのリアピラーで区別された(マークⅡでは、スラントノーズと、黒い樹脂パーツのCピラーが特徴となる)。

シャシーは先代の踏襲で、前マクファーソンストラット/後ろセミトレーリングアーム(下位グレードはトレーリングリンク:4リンク)のサスペンションも変わらない。エンジンも同様で、トップモデルには2L直6 DOHCの1G-GEU(160ps)を搭載。他に、これのシングルカム版である1G-EU(130ps)もあり、また、ひと世代前の6気筒であるM型エンジンも、ターボ仕様のM-TEU(145ps)として残っていた。さらに下級グレード用として、1.8L 4気筒の1S-U(100ps)や、ディーゼルエンジン搭載車も用意されていた。

登場から1年と少々後の1985年10月には、ツインカムへさらにツインターボを装着した1G-GTEU(185ps)搭載車を追加。このエンジン搭載車は他の兄弟車にも加えられたのだが、チェイサーにのみ、快適装備を省き走りに特化したという触れ込みの、GTツインターボSというグレードが設定されている。このX70型系チェイサーは登場2年後にマイナーチェンジを行い、細部デザインや搭載エンジンの一部変更を行った(このときツインターボSは廃止)のち、きっちり4年後にはモデルチェンジで四代目へと移行した。

フジミ製チェイサーのボディ形状をきっちり手直し!
ハイソカーブームの主役であったX70型系マークⅡ三兄弟だが、プラモデル化の数はさほど多くなく、特にチェイサーに限ってみると、キット化はフジミ製1/24スケールのみである。このフジミ製チェイサーには、通常のモーター走行モデル(いわゆる板シャシーのもの)と、エンジンを再現したフルディテールモデルが存在する。後者は「ハイメカ」というシリーズ名で記憶している方も少なくないだろう。

このハイメカ版チェイサーは、当初1G-GEUのアバンテとしてリリースされたが、のちに1G-GTEUのGTツインターボへと改められており、再販もツインターボとして行われている。ここでお目にかけているのは、このフジミ製GTツインターボを制作した作品だが、ボディ形状には大胆かつ緻密な修正を行い、より実車に近い形状へと改めたものだ。その効果のほどと工作の詳細については、工程写真とそのキャプション、そして追って公開する後編の記事を参考にしていただきたい。

作例制作=棚瀬和重/フォト=服部佳洋 modelcars vol.250より再構成のうえ転載

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