日本でも2022年の年初に公開され、各方面で話題になった新型日産フェアレディZ。日本カー・オブ・ザ・イヤー2022-2023でも10ベストカーに選ばれ、2022年主役の1台となった。
歴代フェアレディZといえば、人気の高いレジェンドモデルが多く、Zの名前が初めて冠されたS30型がその筆頭に上がるが、個人的には子供の頃に見て育った(西部警察の劇中で大活躍!)後継となるS130型(写真左下)、さらに親戚の叔父が新車で買って乗っていたZ31型(写真右下)あたりに想い入れが深い。
しかしZになる前、まだ『ダットサン・フェアレディ』と呼ばれていた世代になると途端にご縁が薄くなる。カー・マガジンの誌面を飾ることは多く気にはなっていたが、他の編集部員が担当していて、現場でじっくりと見たり乗ったりする機会がなかったのだ。
だから今回、何回か取材に訪れているイタフラ専門店として知られる横浜の『エスパート』に販売車両として入庫したのを聞き”これは……”と思っていたところ逆に、「取材しませんか?」と連絡を頂き、ふたつ返事で伺うことを決めた次第だ。
今回取材したSR311型ダットサン・フェアレディに到るまでの流れを簡単に復習しておこう。そもそもの源流は、1952年1月に発売開始されたDC3型ダットサン・スポーツとなる。これが国産初のスポーツカーとされ、1959年には2代目のS211型が登場。翌1960年1月からはSP212L型と呼ばれる北米向けモデルが輸出開始されている。
フェアレディの車名が与えられたのはこの北米向けSP212L型。当時日産自動車の社長を務めていた川又克二さんが渡米した際に、記録的ロングランを続けていたブロードウェイのミュージカル『マイ・フェアレディ』に感激、ロングランにあやかりたいと、1961年にフェアレディと名付けたとのことだ。
日本で初めてフェアレディの名が採用されたのは、S211型の後継となるSP310型で、1961年秋の東京モータショーで、ダットサン・フェアレディ1500としてデビューした。その後、クーペ版であるCSP311型シルビアが1965年3月に発売開始され、フェアレディもその2ヵ月後となる同年5月にSP311型フェアレディ1600が登場。そこから2年後となる1967年3月に登場したのが、今回ご紹介するSR311型フェアレディ2000だ。
2000の名のとおり、搭載されるのはU20型と呼ばれる2リッター4気筒OHC。スペックは最高出力145ps/6000rpm、18.0kg-m/4800rpmとなる。車重は910kgと軽く、最高速度は205km/h。トランスミッションは5速M/Tだ。
1967年11月にはマイナーチェンジで、ヘッドレスト装着、ドアノブ形状変更、ウインドシールドの面積拡大などが施されている。取材車は1968年式なので、マイチェン後のモデルだ。なおS30型フェアレディZが登場するのは1969年10月のことである。
取材車は長年乗ってきたオーナーが15~16年くらい前にレストアを実施。その後受け継いだオーナーがあまりの綺麗さんにもったいなさ過ぎて全然乗ることができず、別のオーナーに譲渡。手に入れた新オーナーは仕事柄メカニズムにも詳しかったため、現代の街中でも乗りやすいようにキャブ調整するなど機関にかなり手を入れたという。しかしそのオーナーも高齢で乗れなくなってきたため、今回の売却に到ったそうだ。
エスパートの店主である鶴岡省一郎さんが教えてくれたのは、エッジの効いたボディラインであった。確かにフロントフェンダーの峰は丸くなっているのではなく、ちゃんと角がある。当時の広報写真でもそこまで細かくは見えないのだが、ここを再現できる(知識のある)職人さんがもういなくて、このレストア当時も引退したOBに無理をいって頼んだそうなのだ。ちなみにボディでパテはほぼ使用せず、生鉄が錆びないよう、亜鉛メッキ塗装を使用しているそうで、これこそが現在もこのような美しい姿を維持している秘訣だ。
外光を浴びてより際立つ美しい姿を見ていて思ったのは、フォルムの流麗さとエッジの効いた力強さが同居しているということだ。取材車はホイールが社外品で(純正のホイールカバーもトランクルームに入っていた)、車高も下がっているのだが、逆にそれがテールエンドに向かって下がっていく往年のアメリカ車のような雰囲気もあり、フェアレディ・シリーズが北米で爆発的人気を博したという話も、段々と実感が湧いてくる。
それは乗っても同じであった。フロントはダブルウィッシュボーンながら、リアは縦置きのリーフリジッドというサスペンション形式からも想像できるように、コーナーでぐぐっと粘らせて走るというよりは、街中や高速のクルージングをGTのように流すほうが似合うタイプに感じた。アメリカ西海岸をオープンで気軽に走らせる姿が目に浮かぶ。
ただこれは、取材車が街中で走りやすいようにセッティングされていることは無関係ではないだろう。2000らしい余裕あるトルクと、ほぼノーマル形状で再現したという鉄のマフラーを通じて聞こえるエキゾーストノートの組み合わせは実に気持ちよく、キャブ車に慣れていない筆者も、ちょっとアクセルとシフトワークに気をつける程度で、難なく気持ちよく走ることができた。
数時間の取材であったが、終始感じたのは、大衆車メーカーらしい安心感だった。個人的に得意分野であるイタリア車で例えるなら、アルファロメオほど官能的ではなく、ランチアほど高級ではなく、ニュートラルなフィアットの雰囲気。年代はちょっと違うがかつて乗ったことがあるMG TDあたりにも通じるものがあって、多くの人が乗りやすいスポーツカーを作ろうとした心意気を感じるのだ。
黒一色の室内は、取材車が生産された1968年の1年後にS30型フェアレディZが登場するのも納得できる、どこか武骨で男っぽさがあり、乗りやすいけど骨っぽさもある乗り味と相成って、これが日産らしさだと呼ぶことに抵抗は覚えない。
実際にシャシー下から取材車をさんざん眺めている鶴岡さんも「当時の欧州車をエンジニアリング的には参考にしたかもしれませんが、全く異なるクルマに仕上がっていますよね。その後、日本車が忘れたものが詰まっているように感じました」と語り、日産らしい主張を感じたそうだ。
“Z”の名が登場する直前、フェアレディ・シリーズの集大成とも言えるSR311型であるが、なるほど、確かに乗っても完成度の高いモデルであった。それを愛するオーナーたちが受け継ぎ、ある意味、新車の時以上に乗りやすい個体になっている。
「SR311が欲しい方が乗られたら、きっと幸せになれると思います」とは鶴岡さん。ご縁あってイタフラ専門店にやってきた個体は、果たしてどんなオーナーに受け継がれるのだろうか。
取材協力=エスパート
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