【ヤングタイマー試乗】アウトビアンキA112ジュニアはイタリア版”街の遊撃手!”

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“街の遊撃手”というキーワードでFFジェミニのCMが話題となったのは1985年のこと。同年のイタリアではちょうどアウトビアンキY10がデビューした時期で、それと入れ替わりの形で長きに渡る生産を終了したのが、アウトビアンキA112であった。A112はどうしてもアバルトのイメージが先立つが、ここでピックアップするのはベーシックモデルのA112ジュニアである。

135/80R13という華奢なタイヤが”ナロー感”を醸し出すジュニア。ちなみにジュニアというエンブレム自体は存在しない。

A112はランチア・イプシロンの祖先

私が愛車としているランチア・イプシロンの系譜を辿ってみると、メーカーの公式見解ではアウトビアンキ(ランチア)Y10が祖先となる。2015年に1985年のY10を起点とする、”イプシロン30周年記念モデル”が発売されたからだ。そういった意味で!? ただでさえ影が薄くなりつつある昨今のランチアであるが、Y10の先代とも言えるアウトビアンキA112はアウトビアンキというブランドが現存しないこともあり、さらに歴史の奥底に埋もれつつある。いや既に埋もれている?

そういった刹那的な想いと、A112がロングセラーモデルになった最大の要因でもあるアバルトではなくジュニアだということが合わさり、神奈川県横浜市のスペシャルショップ『エスパート』の店頭に今回の車両が並んだことを知った時は、心の何かに火が灯った気がした。

個人的にA112ジュニアは、イタリア車の原体験とも言えるクルマだ。初めて買ったクルマがフィアット・ウーノ・ターボだというのはいろいろなところで書いてきたが、その当時、イタリア車乗りの先輩(以下Mさん)がジュニアに乗っていたのである。Mさんはイタリア語を駆使して電話でイタリア現地からパーツを購入するような人で、後にイタリアへ移住するという、まさに憧れの存在だ。

そんなMさんのジュニアは絶好調。当時仲間内で”オヤジチューン”と呼んでいたエンジンは、単純にバルブクリアランスをしっかりとるなど、いかに”ノーマル”のパフォーマンスを最大限に引き出すかという整備に注力したものだったが(蛇足ながら、ウーノ・ターボが何度壊れても、修理が終わって”オヤジ”の店から数分走っただけで、その苦労を全て忘れるほどだった)、1速1速のギアを目いっぱい使ってエンジンを上までキレイに回し、街中のクルマとクルマの間をスムーズにすり抜けるように駆け抜ける(しかも危ない感じはナシ)まさにイタリアンピッコロらしい走り方は、”うわあ! これが本当のイタリア車なのか! すげー楽しい!!”と心から感動したもの。そして、それが決して速くないというのがポイントで、実は現在のイプシロンの走り方がまさにコレなのである。

今回車両をお借りしたエスパートの前を走行する様子だが、背景に偶然、個人的に欲しい1台である3代目ランチア・デルタが写っているのは、話が出来すぎである。

後方から迫る軽自動車が巨大に見える

そんなことを思い出しながら、今回の取材車となるジュニアのコックピットに滑り込んだ。まず感じたのはサイズの小ささ。走り出した直後に後方から大きなクルマが迫ってくる……と思ったら軽自動車だった。車幅感はクラシック・ミニに近いものだが、決定的に違うのはミニのようにステアリングを抱え込まないことで、個人的にはこちらのほうが圧倒的に好みだ。

取材車はキャブがツインバレルのアバルト用に変更されていた。当日は試さなかったが、よく効くというクーラーをオンにすると、さすがにシングルバレルのジュニアを日常使いするのはキツいものがあるそうで、そもそもアバルト用は出てくるのにジュニア用のパーツがほとんど出てこないという事情もある。

しかしそのおかげもあって、絶対的な速度や加速こそたいしたことないが、走りの気持ちよさは、原体験に近いものとなっていた。きっとイタリア人は床までアクセルを踏んでガンガン走ったんだろうなあと想像するも若干遠慮しつつ走行。短い逢瀬を楽しんだ。1986年式ということで最終も最終モデルらしいが、1985年にヒットしたFFジェミニのCMキャッチコピー”街の遊撃手”よろしく、これぞまさにイタリア版街の遊撃手である。

段々と慣れてきて、ダブルクラッチを踏んだ時に聞こえたエキゾーストノートは、懐かしい当時の音そのものだった。気が付けば、嗚呼、これで通勤したい……と呟いていた。

ステアリングとメーターはアバルト用。4速M/Tだが、特に不足は感じなかった。シフトノブ前方のクーラーはバッチリ効くとのこと。

フォト=内藤敬仁/T.Naito カー・マガジン468号より転載

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