【知られざるクルマ】Vol.23 「ザ・マイナー・アメリカンスポーツクーペ in the ‘80s」……ポンティアック・フィエロ、ビュイック・レアッタ、マーキュリー・LN7、ダッヂ・オムニ024ほか

2021/08/19 12:00

誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマを紹介する連載、【知られざるクルマ】。第23回は、歴史に埋もれたマイナーなアメリカン・スポーツクーペをご紹介しよう。

と言っても、アメリカ車の2ドアクーペは、その長い歴史上で膨大にあるので、今回は下記の条件を設定。この中からマイナー度が高いクルマを選ぶことにした。

(1) 2ドアスポーツクーペが最後に花開いた、1980年代に生産・登場したモデル。
(2) 2ドア(もしくは3ドア)専用車体を持ち、ノーズをセダンと共用する車種は除外。
(3) スポーツカー、スポーツクーペ、スポーティカー、スペシャリティカー、GTカーを対象とし、キャラクター的にパーソナルクーペとして開発されたモデル、およびそのスポーティグレードは除外。
(4) “一般的に有名” なモデルも除外(例:カマロ、コルベット、マスタングなど)

【GM編・その1】 レプリカベースとしても有名な「ポンティアック・フィエロ」

アメリカを代表する? ミッドシップ・スポーツカー、フィエロ。写真は1985年の「GT」で、ミッドには142psを発生する2.8LのV6・OHVを搭載。

そこでまずは、1980年代アメリカン・スポーツカーの中でも、「知っている人は知っている」度が高い「ポンティアック・フィエロ」からスタートしたい。その前に、GM(ゼネラルモーターズ)には、いくつか「ディビジョン」があるので、大前提としてそこから記そう。

1980年代、GMには下記のように、微妙に性格を分けた5ブランドがあり、同一モデルで名前や仕様を変えた「バッヂエンジニアリング」によって車種展開を行っていた。

・主力大衆ブランド=シボレー
・スポーティなイメージのブランド=ポンティアック(2010年消滅)
・オーソドックスな中級〜高級車ブランド=オールズモビル(2004年消滅)
・上品な高級車ブランド=ビュイック
・最上級ブランド=キャディラック

デビュー時のフィエロ。上級版の「SE」(手前)と「スポーツクーペ」「標準車」を設定していた。エンジンは当初、2.5Lの直4OHVで、最高出力も93psしかなかった。トランスミッションも4速MTのみ。

ポンティアックブランドから1984年に登場したフィエロは、アメリカ車初のミッドシップスポーツカーである。基本的ななりたちは「フィアットX1/9」や、「トヨタMR2」と同様、FF乗用車のパワートレーンを後部に反転、足回りを他車からの流用という手法。安価なコミューター的スポーツカーという性格も似ていた。

しかし、鋼管スペースフレームシャーシにプラスチックのボディパネルという、低廉な量産スポーツカーには見合わないほど凝った構造を採用していて話題になった。当初は2.5Lの直4エンジンだったものの、1985年にはV6エンジンを獲得。さらに翌年ファストバックスタイルに変更、1988年には前後サスを新設計して、よりスポーツカーとしての性能を高めたが、売り上げの回復にはつながらず、同年で生産を終えてしまった。

1986年以降は、ご覧のようにファストバック・スタイルに変更したが、日本には輸入されなかったこと、販売自体が低迷したこともあり、日本での知名度は低い。

1980年代・90年代における、フェラーリやランボルギーニのレプリカ・ベースには、スペースフレームを持つフィエロはもってこいだった。レプリカの多くは、ダッシュボードまでは変えられなかったので、車内を覗き込んで判断できた。なお、右上の308レプリカは、ポンティアックディーラーが用意したオプション「メラ(MERA)」で、注文するとフェラーリ風の車体が載って手元に届いた。フェラーリから訴訟が起こる前に生産を終了したという。

【GM編・その2】ビュイックが2シータースポーツカーを作るとこうなる?「ビュイック・レアッタ」

ぱっと見ではミッドシップスポーツカー? なフォルムを持つレアッタ。ビュイックらしく、カリカリのスポーツカーというよりは、高級なGTというイメージだった。他ディビジョン向けの兄弟車を作らなかったのは、GMでは珍しい。

1970年代には、スポーティな意匠を盛り込んだ2ドアスペシャリティーの「スカイホーク」を販売していたビュイックだが、それ以降、明確にスポーツカーと定義される車種は生まれなかった。そんな中、1988年に突如、2シータースポーツカーという、およそビュイックらしくないモデル「レアッタ」が登場する。他車種と混製せず、ミシガン州に建てられた「レアッタ・クラフト・センター」の専用ラインで生産していたことから高価なクルマとなり、3年間で2万台ほどを生産して、販売終了となった。

一文字に点灯するリアランプも、いかにもアメリカ製高級車の雰囲気だ。エンジンは、3.8LのV6で、ミッションはATのみだった。1990年には、ホロの開閉システムをASCが担当したコンバーチブルを追加している。

【フォード編・その1】ムスタングの兄弟車だった「マーキュリー・カプリ」

続いてはフォード編である。フォードには3つのディビジョンがあり、同一車種のバッジ変えモデルを用意していた。

・主力大衆ブランド=フォード
・上級車ブランド=マーキュリー(欧州フォードの北米版もここで販売。2011年消滅)
・最上級ブランド=リンカーン

「フォックス・マスタング」とボディシェルを共用するアメリカ製カプリ。エンジンバリエーションは多く、販売期間中に2.3L直4、同ターボ、2.8L V6、3.3L直6、英国製3.8L V6、4.2L /5L V6が搭載された。

フォードのスポーティなクーペといえば、現在も生産が続く「マスタング」が有名だが、1980年代には、マーキュリーブランド向け兄弟車として「カプリ」を用意していた。当初は、それまで販売していた欧州製カプリの印象を引き継ぐべく、ボディを3ドアハッチのみとするなど、どことなく欧州車の雰囲気を漂わせていた。「ブラックマジック」や「クリムゾンキャット」など特別仕様車の販売、リアハッチのデザイン変更(膨らんだガラスなので「バブルバック」と呼ばれた)、性能向上などを相次いで行なったものの、1986年で生産が終了した。

なお、前身である欧州製カプリについては、この連載で過去にまとめているので、ぜひご覧いただきたい。

【知られざるクルマ】 Vol.13 フォード・カプリ……ヨーロッパで成功した “ミニ・マスタング”
https://carsmeet.jp/2021/01/08/151079-6/

こちらはオリジナルの「フォックス・マスタング」。ノーズデザインの違いがわかる。本家マスタングは、1993年まで販売を継続した。

【フォード編・その2】知られざる度、ほぼ満点?……FFスペシャリティ「フォード EXP /マーキュリー LN7」

さてさて。ここまで紹介したフィエロとカプリでは、「まだ有名なクルマ」と思う読者諸兄も多いに違いない。そこでここからは、グーンとギアをあげる。その先鋒は、「フォード EXP」に頼むことにしよう。

フォードEXPは、フォードのサブコンパクトカーで、欧州フォードとの共同設計車「エスコート」(欧州エスコートとしては通算3代目)のプラットフォームを用いて開発されたスペシャリティカーだ。登場は1982年。全長約4.3mの(アメリカ車としては)コンパクトな2シーターの2ドアクーペである。実質的には、1971年から1980年まで販売されたスポーティなサブコンパクトカー「ピント」の後継車だった。明らかなノッチバッククーペルックだが、実際はテールゲート付きで、カエルの目を四角くしたような飛び出たヘッドライト、スリットが入るだけのグリルレスな表情も特徴だった。

しかし1986年の改良では、その独特なフロントマスクを、ベース車のエスコートに近いデザインに再設計して、平凡なデザインに。車名も「フォード・エスコートEXP」に改められたが、販売台数は上向かないまま1988年に姿を消している。

小さなマスタングのようなイメージの「EXP」。駆動方式はFFで、エスコート用の直4 SOHC 1.6Lを搭載。のちにインジェクション仕様、122psまでパワーアップしたターボ仕様を追加している。

1986年以降は、マスクが常識的なデザインに直され、車名も「エスコートEXP」に変更した。エンジンは1.9Lに拡大。ラグジュアリークーペとスポーツクーペの2本立てグレード構成だった。

さらに、このフォード EXPには、「マーキュリーLN7」という兄弟車があった。もはやここまで来ると「知られざる度満点」なクルマだ。ボンネット先端のスリットの数、テールゲートデザインの違いなど以外は、搭載エンジンを含めほぼEXPに準じていた。もとより期待したほど売れなかったEXPなのに、LN7は輪をかけて売れず、1982年・83年の2年間で販売をやめてしまった。

フォード・EXPのマーキュリー版が「LN7」。カプリ同様に、リアゲートのウインドウを丸く造形した「バブルバック」を持つ(のちにEXPにも採用)。EXPと異なり、ターボ仕様は販売されなかった。

【クライスラー編・その1】源流を欧州車に持つ「プリムス・ホライゾンTC5」&「ダッヂ・オムニ024」

ラストは、ビッグ3 の一翼・クライスラーであるが、ここでもまた、1980年代における同社保有ディビジョンの説明から入りたいと思う。

・大衆ブランド=プリムス(シボレーやフォードに相当。2001年消滅)
・吸収したAMCの受け皿ブランド=イーグル(1999年に消滅)
・スポーティかつ中〜上級車ブランド=ダッヂ
・最上位ブランド=クライスラー

そのクライスラーは、1960年代に入ると積極的に海外展開を開始。イギリスの「ルーツ・グループ」とフランスの「シムカ」を買収して「クライスラー・ヨーロッパ」を発足させ、旧ルーツ・グループとシムカの車種をキャリーオーバーして販売したほか、両社の技術を用いて、世界中のクライスラーグループで販売できる「世界戦略車」の新規開発を進めた。

その結果1977年に生まれたのが、「クライスラー・シムカ・オリゾン(フランス)/クライスラー・ホライゾン(イギリス)」と「プリマス・ホライゾン/ダッヂ・オムニ(アメリカ)」だった。VWゴルフを仮想敵とする、横置きエンジンのFFハッチバック車だ。その技術は、クライスラーのFF化を進めた立役者「Kカー」の礎になった。

・クライスラーの欧州進出に関しては、こちらもご参照あれ。
【知られざるクルマ】Vol.16 「ステランティス」誕生! でもかつて、プジョーはクライスラーと関係があった?
https://carsmeet.jp/2021/02/26/150868-5/

欧州製コンパクトカーの文法をアメリカ車に持ち込んだ、プリマス・ホライゾン/ダッヂ・オムニ。当初積まれていたエンジンは1.7L直4だが、クライスラーグループでは自前に用意できるユニットがなく、ライバルのVWから供給を受けていたのは興味深い。のちにPSA製1.6Lや、クライスラー自製の2.2Lも搭載された。

そのFFシャーシを生かし、2ドアボディを載せたのが、1979年デビューの「プリマス・ホライゾンTC3」と「ダッヂ・オムニ024」だ。欧州らしい雰囲気を消し去り、いかにもアメリカのスポーティカーというスタイルと装飾を持っていた。登場後はエンジンを換装したり、車名を単なる「TC3」と「024」に変えたりしたものの、販売開始から芳しくなかった売り上げは、最後まであまり改善しなかった。

プリムス版の「ホライゾンTC3」。エンジンバリエーションと変遷は、おおむねハッチバックに準じていた。

こちらはダッヂ向けの「オムニ024」。ワイルドな分割のグリルなどで、スポーティなイメージを強調。写真は、1980年から選択できた「デ・トマソ パッケージ」で、デ・トマソプロデュースのホイール、赤と黒のカラーリングが精悍だ。なおオムニ024は、日本では三菱ディーラーで買うことができた。

【クライスラー編・その2】伝説のシェルビー仕様も存在した「2代目ダッヂ・チャージャー」と、兄弟車「プリムス・ツーリズモ」

この章で書く「5代目ダッヂ・チャージャー」と兄弟車「プリムス・ツーリズモ」は、実際には「プリムス TC3」を「トゥーリズモ」に、「ダッヂ024」を「チャージャー」に改名して誕生しただけのモデル。それぞれ、024とTC3のスポーツパッケージとして用いられていた名称が、1983年に車名に昇格したものだ。

しかしチャージャーという名前は、かつてのクライスラー製マッスルカーの代名詞のひとつでもあったため、直4エンジンのFFサブコンパクトカーでは、少々名前の荷が重すぎたようにも思う。

あのキャロル・シェルビーが手がけた「シェルビー・チャージャー」。1985年に148psを絞り出す2.2Lターボエンジンを搭載、さらに1987年には174psまでパワーアップして、シェルビー伝説に恥じないパフォーマンスの獲得を目指した。なお、1984年にチャージャーとツーリズモは角目4灯化されたが、シェルビー版だけはこのマスクを堅持していた。

おまけ。こちらは、024/TC3から派生したピックアップ「ダッヂ・ランページ/プリムス・スキャンプ」。機構的にはFFのままで、前ドアから後ろをトラックボディにしたのみだが、1.1tの最大積載量に耐えるため、リアサスペンションはリーフ式に変えてあった。生産期間は短く、製造数も多くない。

【クライスラー編・その3】伝説のマッスルカーの名を引き継いだ「ダッヂ・デイトナ」&兄弟車「クライスラー・レーザー」

当時同門だった三菱・スタリオン(ダッヂ/プリムス/クライスラー・コンクエスト)とどことなく似ている、ダッヂ・デイトナ。角目4灯はライバルのシボレー・カマロの印象もあるが、実際は前述のダッヂ・チャージャー&プリムス・ツーリズモのデザインに近づけたためだろう。

最後は、1984年にデビューした「ダッヂ・デイトナ」と「クライスラー・レーザー」で締めくくろう。先のダッヂ024/チャージャー、プリムスTC3/ツーリズモに似たデザインだが、車格的にはひとつ上に当たる。設計の下敷きは、セダンやスポーツカーからリムジンやミニバンまで使われた「Kカー」というFFプラットフォームだった。チャージャーと同じく、伝説のマッスルカー「チャージャー・デイトナ」から名を譲り受けているが、このクルマで、かつての速いアメリカ車の栄華を取り戻そう、というクライスラーの意気込みがあったからではなかろうか。

デイトナの名前は、初代チャージャーのNASCARホモロゲーションモデル「デイトナ」から引用された。伸ばされたノーズと高いリアウイングが特徴。

デイトナのエンジンにも、142ps(1985年からは146ps)を発生した2.2L直4ターボを積んだ。さらに、チャージャーに次いでラインナップしたシェルビーのターボ版「シェルビーZ」では、174psを誇った。写真は、リトラクタブルライトになって、よりスポーツカーらしさを増した1987年以降の「シェルビーZ」。本記事カバー写真もこれ。デイトナは1991年まで作られた。

ダッヂ・デイトナの兄弟車「クライスラー・レーザー」は、クライスラーとしては初の2ドア高級スペシャリティカーだった。当時のアメリカン・ラグジュアリーの法則に沿った華やかな雰囲気は、デイトナとの大きな違いだったが、デイトナに比べて売れ行きが悪かったため、わずか2年で販売を終えている。後継車は、三菱・エクリプスのバッジ変えモデルで、1990年に登場した「プリムス・レーザー/イーグル・タロン」だった。

上級車ブランドのクライスラーの車種だけあり、上位トリムのグレードのみが販売された「レーザー」。エンジンはデイトナ同様、2.2L直4・同ターボ、2.5L直4だった。

SUV時代の現在では、大幅に種類を減らしている2ドアクーペ。アメリカに絞り、さらに1980年代だけでもこんなに出てくるのだから、興味は尽きない。次回も、アメリカン・2ドアから、これまた知られざる「とびきりのラグジュアリーモデル」を2つ取り上げたいと思う。お楽しみに。

この記事を書いた人

遠藤イヅル

1971年生まれ。商経系大学を卒業後カーデザイン専門学校に入学。メーカー系レース部門の会社へ就職し、デザイナーとして勤務する。その後一般企業のデザイナーやディレクターとして働き、独立してイラストレーター・ライターとなった。実用車、商用車を特に好み、クルマの歴史にも詳しい。

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