【知られざるクルマ】 Vol.8 アメリカに渡ったフランス車(2)……シトロエン&プジョー編 〜「CX」ならぬ「CXA」ってナンダ!?

誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、「あまり知らていないクルマ」をご紹介する連載、その名も【知られざるクルマ】。第8回では、前回の「アメリカに渡ったルノー」に引き続き、アメリカで売られていた「プジョー」と「シトロエン」をお送りしたい。

思いほか長期にわたり北米市場で販売されていたシトロエン

ご存知の人も多いかと思うが、アメリカ・カナダなどの北米市場では、イタリア・フランスのいわゆるラテン車のメーカーからは、小型車・セダンなどの実用車領域では、あまりヒット作を生み出していない。フランスや欧州で絶大なシェアを誇るあのルノーでさえ、アメリカでは苦戦し、現在は販売網を持っていないのである。

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では、同じフランスのビッグ3である「プジョー」と「シトロエン」はどうなのか、ということになるが、結論から書いてしまうと、少なからず販売台数を伸ばした車種はあったものの、アメリカでは残念な成績を残すのみで終わってしまった。そのため、両社の「大型バンパー・サイドマーカー・汎用規格型シールドビームを持つ北米仕様」はあまり見慣れず、そして前回お送りしたように「フランス車が、ここまでアメリカンなイメージを得ることができるのか」と、驚かされる。特に「フランス流」を貫くシトロエンの変わりようは、実に面白い。

1935年に登場した、当時としては画期的な前輪駆動(FF)車「トラクシオン・アヴァン」。アメリカでは早くも1938年には小さい車体の「レジェ」を輸入していた。同様にいくつかの企業がトラクシオン・アヴァンの輸入を開始しており、中には革シートにウッドパネルを備えたイギリス・スラウ工場も導入し、人気を博したという。

まずは、そのシトロエンから見てみよう。シトロエンの創始者アンドレ・シトロエンは、アメリカに憧れ、フォードの工場が採用した「流れ作業による自動車製造」をヒントに、砲弾と大衆車の大量生産に成功したことで知られ、彼自身もアメリカでシトロエンを売ることを夢見ていた。アンドレの存命中にそれは叶わなかったが、1938年にカリフォルニアの「チャレンジャーモーターカンパニー」という会社が「トラクシオン・アヴァン 11CVレジェ」の輸入を開始したことで、正規輸入ではないものの、シトロエンはアメリカの地に上陸を始めたのだった。

シトロエンの名車DS/IDもアメリカで販売

アメリカ仕様のDS21パラス。アメリカの法規に合わせ、ヘッドライトをシールドビームに改造、ターンシグナルも流線型の独自タイプが設けられていた。

1968年以降のモデルでは、ヘッドライトを片側2灯ずつカバーに収めた「猫目」型のフロントになったが、当時のアメリカでは、ステアリング連動ヘッドライトや、車高に合わせて光軸を調整するセルフレベリングヘッドライトが禁止されていたため、カバーなし・ボディ同色のナセルに変更していた。さらに本来のターンシグナルが収まる位置は飾りプレートで埋め、バンパー下に丸い平凡な灯火を設けている。サイドマーカーを備えたことで、一気に北米仕様らしい雰囲気を身にまとっている。

1955年に登場した「DS/ID(Dシリーズ)」も、発売間もなくアメリカへの輸入が始まっている。この頃には、シトロエンのアメリカ現地法人「シトロエンカーズ・コーポレーション」が設立されており、DS/IDは、晴れて正規輸入というカタチでアメリカの地を踏むことができた。輸入当初からアメリカ向けに変更を施していたが、アメリカの安全基準や法規の変更に伴い、次第にサイドマーカーなどの「アメリカ車らしい」装備が増えていき、フランス本国のDS/IDとはまったく異なる雰囲気を醸し出すようになっていった。アメリカの市場では奇抜な輸入車だったDS/IDだが、大幅な改良が行われた1965年以降では、信頼性が向上したことも手伝い、輸入開始から販売が終わった1972年までに、数千台という決して少なく無い販売台数を記録している。

シトロエン、アメリカから撤退

SMの特徴であった、プラスチックで覆われた角目6灯ヘッドライトは、DS/ID同様に汎用の丸型4灯に変更。マセラティのV6エンジンは、すべて2.7Lのキャブレター仕様のみで、本国に存在した3L版は搭載しなかった。なお、SMは日本でも正規輸入を行っていたが、日本仕様はこの北米版をベースとしていたため、外観も丸目+サイドマーカーという装いだった。

DS/IDに続いて、マセラティ・エンジンを載せたスーパー・フレンチカーの「SM」も1972年から輸入が始まった。パワーがありかつ流麗でスポーティなSMは、アメリカでも受け入れられ、1973年の販売終了までに約2400台を販売した。しかし、シトロエンの経営難とオイルショックのダブルパンチが重なり、アメリカでのSM販売はわずか2年で終了してしまった。そしてDS/IDの後継「CX」の輸入は行われないまま、シトロエンカーズ・コーポレーションは解散、シトロエンはアメリカから完全に撤退した。その後現在に至るまで、北米市場でのシトロエン正規輸入は行われていない。

シトロエンのフラットツインたちも、アメリカで売っていたのは驚きである。しかもビーチカーの「メアリ」までも! ヘッドライトをシールドビームに変えているほか、取り付け位置も法規に合わせて上にシフトしている。メアリは、カリフォルニアやフロリダのビーチで用いるユーザーに売ることを想定していたが、売れた台数はわずかだった。ハワイではバジェットレンタカーが採用して、レジャー用に貸し出していたという。

シトロエンカーズ・コーポレーションでは、この他「2CV」「アミ」「メアリ」なども、1960年代から販売を行っていた。しかし、派手なテールフィンの高さを競い、全長6mの巨大な車体を持ち、排気量のエンジンが当たり前だった当時のアメリカで、装備が著しく少なく、空冷2気筒エンジンで経済性を極限まで突き詰めた2CVはなかなか理解されず、販売台数は伸び悩んだ。しかも年々厳しくなる安全基準に合致しなくなったため、1970年頃までにアメリカでの正規輸入販売をすべて終えることになってしまった。

「シトロエンCX」ならぬ「CXA」ってナンダ!?

前述のように、1970年代前半で北米市場でのシトロエン販売は終わり、今なお正規での輸入は復活していないが、アメリカの民間企業のいくつかが、正規輸入並みの体制で「CX」をアメリカに持ち込んでいたことがある。その中のひとつが、ニュージャージーに本社を置いた輸入業車「CXAuto」だった。

それまでもCXを輸入し、法規に沿った改造を行なっていた会社はあったが、CXAutoでは本国からCXをアメリカに輸入してから、広範囲に北米向け改造を行い、事実上「アメリカで再生産」して「CXA」という名前で発売した。つまり、CXを輸入して売るのではなく、「CXAというクルマ」として販売していたともいえる。CXAutoは衝突実験まで行っていたというのだから、本格的だ。CXAは1985年から90年頃にかけて600台ほどが売られたとのことである。

上がオリジナルのCX、下がCXA。汎用の丸目シールドビーム、前後バンパーのサイドマーカー、フロントナンバーレスによって、見事にアメリカ車らしい雰囲気に返信している。グリルにダブル・シェブロンエンブレムが無いことに注目。

ちなみに、CXAでは車体のどこにもシトロエンの文字やダブルシェブロンを貼っていなかったが、これには経緯がある。CXAの前にCXをアメリカに入れた業者「Citroën Importers of North America (CINA)」は、シトロエンCXという車名とエンブレムを大々的に使っていたが、本国シトロエンは、撤退後もロゴ類の権利はシトロエンが有するとして、CINAがシトロエンの名称やエンブレムを用いることに不快感を示した。結局シトロエンとの訴訟の中で、CINAはその権利を放棄しており、CXAutoもエンブレム類を使用しない、という流れに従っていた。

なお、CXの後継「XM」も、CXAutoによって1991年からアメリカに輸入されたが、販売台数はごく少なかった。なお、CXAutoは1997年に会社を畳んでいる。

コロンボ刑事も愛したプジョー

一方のプジョーは、1950年代後半から北米での正規販売を始めており、最初に発売したのは本国で1955年に登場した中型モデル「403」だった。403は、フェンダーがボディに取り込まれた斬新なデザインで好評を博したモデルだったが、それ以外はラダーフレームのFRというトラディショナルで堅実な設計だった。同年にシトロエンがFFでハイドロニューマチック、油圧で動く半自動トランスミッション、スケルトン構造で樹脂の屋根、宇宙船のような外観……など画期的すぎるDS/IDを出していたことを思うと、2社のクルマづくりの違いが明確である。ちなみに2ドアのカブリオレは、「刑事コロンボ」でコロンボ刑事が愛用していたことで知られる。

1956年に追加の403カブリオレは、アメリカでも販売された。コロンボ刑事の愛車として有名。403は、1967年頃まで輸入が続いた。

1960年代に入って、403の後を継いだ404もアメリカに上陸。そして1970年、404の後継サルーン/ワゴンの「504」が、本国の2年遅れで投入された。冒険のない設計の地味な実用車ながらも、過不足ないサイズや性能、高い堅牢性や実用性から世界中で活躍した504は、やはりアメリカでも人気を得て、ニューヨークではセダンをタクシーとして導入を検討したほどだ。北米市場向けは、美しいカットのヘッドライトは無粋な丸目4灯に、バンパーも大きくて重い5マイルバンパーに、エンジンも排ガス対策で眠くなってしまったものの、ピニンファリーナ・デザインの美しさは保っていた。アメリカではホイールベースや車体を伸ばしたワゴンも好評で、1983年頃まで市場に供給された。

でかくて重たい5マイルバンパー、サイドマーカー、汎用ヘッドライトという70年代北米仕様セットを完備する、アメリカ向けの504。セダンとワゴン(ブレーク)の両方が販売された。ワゴンは、セダンよりもホイールベースと全長が伸びており、実用性もさらに高かった。なおアメリカでは、このほか「305」「604」なども販売していた。

「505」でヒットを飛ばしたものの、1992年に北米市場から撤退

504の発展進化版で、504の後を継いだ「505」も、1980年からアメリカで販売を開始している。505もセダンとワゴンを用意していたが、1980年代になってボルボ200・700・900シリーズや、メルセデス・ベンツW123・W124のワゴンがアメリカで流行しており、505ワゴンもまた、それら輸入ワゴンの一角を占めていた。505ワゴンは、1980年代末になっても売れ続けた。セダンよりも150mmほどホイールベースを伸ばし、全長4.9mmという巨体を持っていたこと、3列シートの8人乗りもあったこと、ターボエンジン搭載モデルを用意していたことも、売れ行き好調な理由だった。

写真は、3列シート・8人乗りの「SW8」。よく見ると、ヘッドライトは角形の汎用に置き換わっていることがわかる。2.2L直4ターボを搭載した「505ターボワゴン」は、180psを発生した。日本にも並行輸入でSW8が何台か上陸し、今でも時折中古車市場を賑わせる。

とはいえ、1990年代に入ると505の旧態化はさすがに否めなかった。しかし、当時のプジョーアメリカ法人「プジョー・モータース・オブ・アメリカ」は、この505ワゴンの売れ行きに頼らざるを得ない状況だった。というのも、1989年からアメリカで発売を開始した鳴り物入りのニューモデル「405」が、北米市場で受け入れられなかったためだ。

バンパーの前側にターンシグナル、サイドにマーカーを持つ、見慣れない姿の北米仕様405。写真は1.9L直4DOHCを積む「Mi16」。アメリカでは、1984年からヘッドライトが汎用の規格品ではなくてもOKになったため、405本来のヘッドライト形状を採用している。

アメリカで人気が高かったサーブ900、BMW 3シリーズ、メルセデス・ベンツ190シリーズ、アウディ80などと競うクラスにあった405は、美しいピニンファリーナ・デザインのボディ、広い室内、快活なハンドリングなどで高い評価を得て、欧州カー・オブ・ザ・イヤーを獲得したほどの実力の持ち主だった。北米市場にはセダン・ワゴンのほか、高性能な16バルブエンジンを載せた「Mi16」まで投入し、アメリカでも高評価も得ていたほどだった。

しかし残念ながら車格・車体が大きな505の代わりにはなり得ず、さらに日本車をはじめとしたライバルとの厳しい競争に勝つことができず、わずか3年で数千台を販売したにとどまった。そして1991年頃、プジョーは1958年以来保ってきたアメリカの市場から撤退することになった。

2026年までに、アメリカでプジョーブランドが復活?

それ以来、プジョーの正規輸入は途絶えてしまっているが、シトロエンともども、幾度か「アメリカへ復帰する」という噂が立っては消え、立っては消えを繰り返してきた。そんな中、2019年に、グループPSAは北米市場へのカムバックをプジョーブランドで行うことを決定。同グループでは、今後フィアットクライスラー(FCA)との合併に関係なく、2026年までに北米市場への復帰計画を進めるとのことだ。アメリカに再上陸しようとしているプジョーに、今後も目が離せない。

アメリカでもSUVが大ヒットしているため、プジョー復活を飾る車種も、SUV がメインになるに違いない。

写真:プジョー、シトロエン

この記事を書いた人

遠藤イヅル

1971年生まれ。商経系大学を卒業後カーデザイン専門学校に入学。メーカー系レース部門の会社へ就職し、デザイナーとして勤務する。その後一般企業のデザイナーやディレクターとして働き、独立してイラストレーター・ライターとなった。実用車、商用車を特に好み、クルマの歴史にも詳しい。

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