Così così(コジコジ)とはイタリア語で「まあまあ」のこと。この国の人々がよく口にする表現である。毎日のなかで出会ったもの・シアワセに感じたもの・マジメに考えたことを、在住23年の筆者の視点で綴ってゆく。
フィアットよ、お前もか
自動車ブランドでは新ブランドロゴのラッシュだ。
2019年にフォルクスワーゲンが、2020年にBMWが新ロゴを導入した。いまだ正式なアナウンスメントは無いが、日産自動車も近い将来変更か? という予想が2020年3月から欧州や日本のメディアで囁かれている。
そして、あのフィアットも? というのが今回のお話である。
話題の発端は、2020年4月初旬から「アルヴォランテ.it」をはじめとするイタリアの有力自動車専門サイト数社が伝えた記事だ。
2020年末投入とされるフィアット2代目ティーポ改良型を報じたものであった。そのスパイショットのフロント部には、従来の赤地に白文字のバッジが無い。
代わりに貼られているのは、アルファベット4文字で「FIAT」と記されたものである。
思えば、そのロゴが最初に現れたのは、2019年ジュネーヴ・ショーで公開されたコンセプトカー「チェントヴェンティ」であった。
また、2020年3月ミラノで発表された電気自動車「ニュー500」のリアにも、同様にFIATの文字のみのバッジがあしらわれている。
日産同様、本稿執筆時点でフィアットから新ロゴに関する発表は行われていない。
だがこうした流れをみると、ティーポ改良型を含め、今後フィアット・ブランドのロゴは、この新しいものに順次更新されてゆくことは確実だ。
青くなったり、赤くなったり
フィアットは、たびたびブランドのロゴを変更してきた。
筆者がイタリアに住み始めたのは1996年であった。3年後の1999年、創業100年を機会に青い丸に銀文字の新ロゴが制定された。書体は20世紀初めからのもの、縁取りは1920〜1960年代に用いられたデザインをモティーフとしていた。
だが僅か7年後の2006年、フィアットはその青丸ロゴをあっさりと捨て、今日まで続く赤丸ロゴへと変更する。最初にあしらわれたのは、同年発売された2代目ブラーヴォだった。
この赤丸ロゴを考案したのは、ミラノを本拠とするブランド・アドバイザー会社「ロビラント・アソシアーティ」である。なお同社は2014年にも、現在のFCA(フィアット・クライスラー・オートモビルズ)の3文字デザインを担当している。
当時フィアット社内で赤丸ロゴを推進したのは、前回の本欄で記したルカ・デメオだった。
デメオは、お得意のポエムなニュアンスでこう語っている。「この重要かつダイナミックな状況下、これまで達成した進歩を認め、かつ将来の課題に向けて、私たちを投影する新たな原動力の具体的な表現として、ロゴ変更を決定しました」(出典: Car body Design 2006年10月29日配信)。
デメオに加え、フィアット創業家の御曹司で、今日イタリアを代表するファッショニスタとして有名なラポ・エルカンも2005年まで在籍していたから、この赤丸ロゴへの変更に深く関与していたことは想像に難くない。
この“2006年ロゴ”は、翌2007年に投入したフィアット500が今日まで13年にわたるロングセラーとなったことも、その浸透度に貢献した。
ただし筆者自身は、実用上若干の疑問を抱いている。それは太陽光に弱い「赤」をベースにしていることである。イタリアの強い陽光のもと、褪色してしまったフロントのバッジをこれまでたびたび目にしてきた。
バッジだけでない。フィアット販売店の店頭に掲げられた看板も、褪色してしまったものを時折見てきた。それも日中太陽が当たる向きだけ褪せてしまっているから、もっと困る。
あの平行四辺形マークを守る店
冒頭の新ロゴが制定された場合、フィアットは1990年代からだけでも実にバッジを4回変更したことになる。
販売店にとっては大きな負担であることは事実だ。ある別ブランドの販売店の経営者から聞いた話だが、ショールームの看板一式の架け替えは日本円にして最低1200万円コースの負担というから大変だ。
それでも今度はシルバーなので、バッジや看板の経年劣化は、より少ないだろう。
さらにデザイン的観点からしても、意欲的な挑戦である。
自動車の世界でシンボルマークを伴わず、かつアルファベットのみで構成されたCIは「GMC」「ISUZU」そして「KTM」など僅かだ。乗用車をメインとする主要ブランドでは、筆者が知る限りフィアットのみである。
「最もシンプルな車メーカーのロゴ」となる可能性は高い。同時に、なぜもっと早くこの案に到達しなかったのだろう、とも思う。
いっぽう長年にわたるイタリア車ファンのなかには、「フィアット」と聞いて、あの並行四辺形に囲まれたロゴを思い出す人は少なくないのであろうか。
あれは、スイス・バーゼルを拠点とするアルミン・フォクトが手掛けた作品だ。1968年に制定された。
ジョヴァンニ・アニェッリ+ヴィットリオ・ヴァレッタという最強のコンビがフィアットを経営していた時代である。
1991年に新しいバッジが車両に採用されるようになったあとも並行して用いられ、前述の青白ロゴが用いられるまで30年にわたってフィアット車のノーズを飾った。
そればかりか純正部品から鉄道までグループ内のあらゆる製品に用いられ、コングロマリット時代の象徴となった。筆者が住むシエナとフィレンツェを結ぶ1980年代のフィアット製気動車にも、今もしっかり当時のプレートが付いている。
平行四辺形フィアットのロゴで思い出すのは、シエナの自動車用品店だ。
今回執筆するために久々に訪れてみると、今でも店頭看板として掲げ続けていた。
なにしろ現店主で1929年生まれ・今年で91歳のリーナさんが夫とともに開業したのは1962年。
並行四辺形ロゴよりも古いのである。
カウンターにも、寄りかかる客のズボンに毎日こすられながら、しっかりと平行四辺形ステッカーが残っている。
だから旧ロゴを残しているというわけではないが、番頭役のジャンカルロさんは「FCAといわれても、どうもイタリア感が乏しくてね」と笑う。
リーナさんの店は個人商店なので、ロゴをアップデートする必要はない。また、地元修理工場のメカニックを含め常連客が多いため、彼らの看板にノスタルジーを感じてやってくる人も少ない。
だが、どんな業種でも新ロゴ発表とともにヒステリックなまでに看板を掛けかえてしまう日本からすると、なんとも穏やかなムードに包まれるのである。
文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA、FCA