【知られざるクルマ】 Vol.5 BMWとグラース……BMWの由緒のひとつ「グラース」とそのクルマたち

2020/06/11 13:00

誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、多くの人に知られていないクルマを紹介する【知られざるクルマ】。第5回は、BMWに編入されるも歴史の中に消えて行った「グラース」というメーカーと、そのクルマたちをお送りしたい。

BMWには「グラース」出自のモデルがあった

現在のBMWラインナップには、FFハッチバックやSUVも増えたが、基本は3、5、7シリーズのセダンであることに変わりはない。これらBMWを代表するセダンは、いずれも1962年登場の「ノイエ・クラッセ」こと「BMW 1500」から発展したことは、前回このコーナーで記した。

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1964年・1966年、のちの5シリーズとなる「1800/2000」が、1965年に6シリーズの元祖とも言える「2000CS」が、そして1968年には3シリーズの原型である「02系」が続々と登場した1960年代のBMW。その数年前まではバブルカーと高級車しかなかった……とは思えないほど、大きく発展した。それと並行して、旧来BMWのイセッタ系列・BMW700、500番台から車名が始まる大型高級車の生産も順次終了。世代交代は着実に行われていった。

だが当時のBMWには、これらの流れとまったく異なる系統があった。それが、1966年にBMWが傘下に収めた「ハンス・グラース(以下、グラース)」を出自とするクルマたちである。

末期グラースの代表作、「1300GT」。グラースがBMWに吸収されたあとも、数年間だけその命脈を保った。詳しくは後述。

1950年代、バブルカー「ゴッゴモビル」で成功したグラース

1880年代、バイエルン州ピルスディングに農機具メーカーとして創業したグラースは、1900年代に入って拠点をディンゴルフィングに移動。戦後になって社名をハンス・グラースに改めた。グラースが乗り物を作り出したのは1951年のことで、最初の製品は全体を丸い流線型のカバーで覆った個性的な125 ccスクーター「ゴッゴローラー」だった。ドイツのスクーター市場で2位を記録したが、1955年に登場した4輪車「ゴッゴモビル」の生産に合わせ、グラースはバイクの事業からあっさりと撤退してしまった。

イセッタと同様の超小型車「バブルカー」のひとつ、「ゴッゴモビル」。写真は最初期の「T250」。その名の通りエンジンは245ccしかなかった。

そのゴッゴモビルは、イセッタと同じく戦後の庶民のアシとして活躍すべく生まれた超小型車「バブルカー」の一種で、リアに搭載していたエンジンは、当初空冷2スト直2・245ccという小ささだった。しかし、まさに泡のように丸く、ドアが前にあったイセッタや「ハインケル」、エビのようなデザインでキャノピーから乗り降りを迫った「メッサーシュミット」に比べれば、タイヤがふんばるように4隅に配置され、「クルマっぽいカタチ」をしていたゴッゴモビルは一定の評価を獲得。クーペ、コンバーチブル、さらに商用バンなど数多くのバリエーションを擁し、エンジンも300、400ccと拡大。1969年までに28万台を製造し、グラースの4輪車市場進出に大きな成功をもたらした。

ゴッゴモビルにはこんな小粋なクーペもあった。1957年追加のTS250は、優雅なリアウインドウが特徴。狭いながらもリアには2座を設けていた。これをベースにしたコンバーチブルまで用意されていた。TS250も排気量アップでTS300、TS400へと進化している。

バブルカーから小型車へ発展

ゴッゴモビルはバブルカーの中ではもっともクルマらしさがあったが、とはいえ、それでもまだ簡易的だった。しかし1958年に登場した「T600」「T700」では、一気に小型大衆車らしいデザインに進化。機構的にも4ストの584cc/688ccOHVフラットツインエンジンをフロントに積む後輪駆動車、という「ごくふつうのクルマ」となった。しっかりとした小型車になっていたT600/T700では、バブルカー=ゴッゴモビルというイメージにはそぐわなくなっていたため、グラースは1959年には車名を「グラース・イザール」に変更した。これは当然の成り行きだったといえよう。

1958年の「T600/T700」は、さらに「クルマらしい」スタイルに。T600/T700で注目すべきは、すでに12ボルト電源を採用していたことだった。1959年からはグラースブランドになり、「イザール」という名前を持つようになった。けだしグッドデザイン。

その後もグラースは積極的に小型車開発を進め、1962年には1Lクラスの「S1004クーペ」を送り出す。エンジンは992cc直4SOHCで、カムの駆動に市販車では世界初となるコッグドベルトを採用していた。これら最先端のメカニズムと。ピエトロ・フルアによる近代的デザインのボディからは、もはやゴッゴモビルのような廉価車の面影はなかった。当初はクーペのみだったが、すぐに2ドアセダン、さらにカブリオレを追加、エンジンも1.2L、1.2Lツインキャブを設定した。モデル末期には「1300GT(後述)」用の1.3Lエンジンを載せたり、ワゴン風ハッチバック(コンビリムジンと称した)の「1004CL/1304CL」を設定するなど、豊富なバリエーションを持つに至った。

水冷直4SOHCという高度なメカニズムを採用した1004/1204。ディティールは近代的になったが、いささかフォルムのバランスが悪い。これもフルアの作。

中型車市場に挑戦 スポーツモデル「GT」やV8搭載モデルも登場

1004/1204シリーズで1Lクラスに進出したグラースは、さらに1.5L級以上の中型車市場に「1500」で挑戦。1500は、フルア・デザインによるシンプル&クリーンなデザインの4ドアボディに、1.5L直4SOHCを搭載したセダンだった。

しかしこのクラスは、BMWのノイエ・クラッセやオペル・レコルトなどの強力なライバルが多いことも確かで、グラース1500の登場に前後してBMWは1.8L版の「BMW1800」を発売、BMW1500も1.6Lに置き換わってパワーアップを果たしていた。グラースも同様に、デビュー翌年の1964年に1.7Lエンジンを積んだ「1700」を発表、さらに翌年になってツインキャブで武装して100psを得た「1700TS」を追加して、ライバルたちに対抗した。なおこの1700、実はこの後びっくりの「転身」を果たすのだが、それは当記事末まで読んでのお楽しみである。

グラース初の1.5L級セダン「1500」。登場翌年に排気量を上げ、「1700」となった。こちらもフルアの手による美しいデザインを持つ。BMWのようなCピラー付け根のディティールは、この後BMWに吸収されることを示唆しているかのようだ。

グラースの車種展開は積極的で、1963年に1300GTという流麗なクーペを発表している。なだらかに降りるルーフラインとロングノーズという古典的スポーツカーのシルエットはとても美しく、GTという車名に恥じない。このデザインも、もちろんフルアの仕事だった。ボディはイタリアのマジョーラで製造され、ディンゴルフィング工場に輸送したのちにシャーシと結合するという、手の込んだ方式で製造された。エンジンは前述の1304にも載った1.3Lで、ツインキャブにより75psという高性能を誇ったが、1965年からは1700TS用の1.7Lツインキャブ100psユニットに載せ替えられ、「1700GT」へとリネームした。

イタリアン・GTの雰囲気を漂わせる1300GT。1965年からは1.7Lを積んだ「1700GT」を追加している。

ここまで数多くのモデルを紹介しているため、グラースは景気が良かったのかなと思われがちだが、実際はそうではなかった。ゴッゴモビル以降、イザールも、1004系も、1700も、1300/1700GTも、決して成功作とはいえなかった。しかしグラースは、1300/1700GTの好評(とはいえ、クルマの性格上多大な販売台数は望めなかった)を受け、さらにGTカーの開発を決定する。それが、V8エンジンを搭載した「2600 V8」だった。

このGTカーのエンジンは自社開発で、開発リソースを減らすため既存の1.3Lを2個つなぐことで生み出されていた。フルアが線を引いた外観は、同時期のマセラッティ・クワトロポルテによく似ていたのが特徴。足回りも凝っており、4輪ディスクブレーキ(しかもリアはインボード式)、ド・ディオンアクスル式リアサス、ボーゲ製の油圧式セルフレベリングダンパーを備えていたが、シャーシ自体は1700からの流用で、ホイールベース寸法も同一だった。なお、グラースとしては2ドアだけでなく、4ドアセダンの発売も視野に入れていたようである。

末期のグラースの象徴、「2600 V8」。デビューは1965年。ゴッゴモビル登場からわずか10年後の出来事である。その急激な進歩はグラースに限ったことではなく、この頃のメーカーの多くで見られる。

BMW、グラースを買収。いくつかのモデルはBMWブランドで継続販売

期待を込めて開発を行った2600 V8だったが、庶民には手が届かないような高級GTは、グラースの懐を温めてはくれなかった。2600 V8の開発と生産コストはとても高く、これがグラースを倒産に追い込んでしまったのは想像に難くない。1966年のことだ。そんなグラースに手を差し伸べたのがBMWだった。BMWも数年前までは青息吐息だったが、ノイエ・クラッセの成功でミュンヘン工場は手一杯のような状況で、資金的にも余裕ができていた。BMWにとって、ディンゴルフィングの工場施設と従業員は、彼らの新しい生産施設として魅力的に映ったのだろう。

グラース1700GTはBMWの元でも「1600GT」として生産を継続。外観に大きな変化はなかったが、フロントにキドニーグリル・リアには02系用の丸いテールランプを備え、各所にBMWのエンブレムを配しただけで、BMWらしい雰囲気を漂わすのが不思議だ。

1600GTのエンジンは、グラース自前のエンジンから、BMW1600用のエンジン・トランスミッションに載せ替えられていた。

グラースを傘下に収めたBMWは、グラースの車種構成に大ナタを振るった。そのため、1004/1024系と1700は、少しだけBMWバッヂをつけたもののすぐに「モデル廃止・後継車なし」という結果に。一方でGT系はというと、1967年にBMW1600のエンジン・トランスミッション、リアトレーリングアームサスを移植して「1600GT」として再出発を行い、フロントに小さなキドニーグリルを付けてBMWファミリーの仲間入りを果たした。

そしてグラース最後の大作・2600V8も、BMWは生産を継続。排気量をアップして「BMW グラース3000GT」として発売した。こちらはBMWのエンブレムを貼っただけで、キドニーグリルは装着されなかった。なお、ゴッゴモビルは1969年まで生産を残している。

BMW時代になって、V8エンジンを2.6Lから3Lへと拡大。最高出力も140psから160psにアップしていた。生産台数は73台といわれ、ごく少ない。

なんとか生き残ったグラースのクルマたちだが、それも本家BMWの車種とバッティングしていた。そのため終焉は思いの外早く、1600GT、3000GTともに1968年に生産を終了。BMWは、手が空いていくディンゴルフィング工場を次第に自らの「仕様」に変えていった。当初はBMW用アクスルの製造などを担当、工場の近代化・新しい棟の増築なども行い、1973年からは車両自体(5シリーズ)の生産を開始している。現在でもディンゴルフィング工場は同社の重要な生産拠点のひとつとなっており、3、4、5、6、7シリーズなどの主要車種を、続々と市場に提供している。

生産2台、現存1台という1600GTのカブリオレ。BMWのクラシック部門が見事にレストアして保管している。

1955年にゴッゴモビルで4輪車に参入し、1966年にBMWに吸収されて消えたグラース。たった11年で、驚くほどの車種展開と発展を遂げたのだが、皮肉にも成功したのはバブルカーだけだった。BMW傘下に入っても、その名や車種、技術的な面さえも、ほとんど継承されることはなかった。しかし、BMWの歴史の1ページに、グラースというメーカーがほんのわずかでも存在したことは、これからも忘れずにいたいと思う。

BMWのような、そうじゃないような…という姿の1804SA/2004SA。元が1700だとは思えないほどの変わりっぷり。

最後に……、先ほど書いた「1700、びっくりの転身」について触れよう。1700はBMWのセダンと車格が丸かぶりなので、同社に吸収されてからのラインアップに残れなかったのは仕方がないのだが、1967年の生産終了後、南アフリカのBMW輸入業車がディンゴルフィングの1700用生産設備を移設。同地で「BMW1800SA /2000SA」として生産を継続したのである。グラース製エンジンはBMWの1.8Lもしくは2Lのエンジンとギアボックスに変更されていたが、これらはミュンヘンから送られていた。

当初は1700の姿そのままだったが、1973年になってなんと5シリーズのようなフロントマスクとテールエンドをゲット。元からBMWのようなデザインだったのにBMWに入れてもらえなかった1700は、名実ともに、晴れてほんとうにBMWの姿を手に入れることができたのだった。その際に車名が「1804SA/2004SA」に変わったものの生産期間は同年までで、非常に短命に終わった。これは、グラース最後の生き残り車種が消えていったことも意味していた。

フォト : BMW

この記事を書いた人

遠藤イヅル

1971年生まれ。商経系大学を卒業後カーデザイン専門学校に入学。メーカー系レース部門の会社へ就職し、デザイナーとして勤務する。その後一般企業のデザイナーやディレクターとして働き、独立してイラストレーター・ライターとなった。実用車、商用車を特に好み、クルマの歴史にも詳しい。

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