2022年にサハラ砂漠縦断に再び挑む「シトロエン・スカラベ・ドール」はフレンチSUVのルーツなのか!?【フレンチ閑々】

南陽一浩
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シトロエンのEVコンセプトと市販モデルもサハラ砂漠縦断に挑戦

昨年、1919年の創業から100周年を迎えたシトロエンが、野心的なコンセプトや市販モデル、そして将来的なプロジェクトを矢継ぎ早に発表している。中でも注目は、スカラベ・ドールでサハラ砂漠を2022年から2023年初にかけて再び100年ぶりに、縦断するという計画だ。

オリジナルのスカラベ・ドールは1922年12月から翌年1月にかけて、自動車でのサハラ砂漠縦断に初めて成功した。ジョルジュ・マリー・アールトとルイ・オドゥアン・デュブルイユらの手によって、地中海岸のアルジェリアから中央アフリカの現マリの首都トンブクトゥまで、約3200㎞の旧い隊商ルートをたった20日間で走破したのだ。シトロエンは続いて「クロワジエール・ノワール(黒のクルーズ)」というアフリカ縦断、そして「クロワジエール・ジョヌ(黄色いクルーズ)」と名づけられたユーラシア横断を成功させる。

これこそがクルマによる大陸探査旅行の始まりだった。当時の大戦間の時代といえば、大陸間の移動はパックボートと呼ばれた豪華客船ぐらいで、ツェッペリン号が飛行船による世界一周を果たすのは1929年のことで、航空機による民間人の移動など、夢のまた夢のという話だった。

この100周年記念事業の画竜点睛として、サハラ砂漠縦断に用いられるスカラベ・ドールは、数年前からフランスの職能高等専門学校の生徒の手によって制作されたレプリカの個体だ。もちろん「シトロエン・ヘリテイジ」と名を変えた旧シトロエン・コンセルヴァトワールに保管されているオリジナルの個体が範となっており、完成したレプリカは昨年、機会あるごとに行われた100周年記念イベントの度、あちこちでお披露目がなされた。

しかし今回のサハラ砂漠縦断には、スカラベ・ドールのみならず、シトロエンのEVコンセプトと市販モデルという数台が挑むという。つまり過去・現在・未来が一緒に走るプロジェクトなのだ。

スカラベ・ドールは今日のフレンチSUVと技術的に共通点はないように見えても、遠い祖先であることは間違いない。駆動後輪側にキャタピラを採用し、転じて軍事用にもなったハーフトラックが、今日のレジャー目的で乗られるFFベースの「スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル」の元祖といっても、ピンと来ないかもしれない。何せ今日、市場にはもっと本格的なメカニズムを備えた、それこそミルスペックじみた4駆SUVもある。

だがスカラベ・ドールを端緒に一連のオートシュニーユをシトロエンで開発したアドルフ・ケグレッスという人物は、フランス海軍を退役して1903年にロシアに渡り、ロシア革命直前までロマノフ王家に仕えてニコライ2世の自動車係を務めた、そんなエンジニアだった。パッカードやロールス・ロイス、メルセデスといったベース車両の駆動側にキャタピラを、操舵側に橇を付けるといった改造を、皇帝の要請で彼は施し、自動車史上でもっとも早くから雪や泥に強く「オール・テレイン」化された車両を、1914年からロシア軍は制式採用したというから、あな恐ろしや! ケグレッス自身は1917年にフランス大使館の要請でロシアを辞し、これら最初期のハーフトラックはロシア白軍よりむしろボリシェヴィキの役に立ってしまったようだが、そのノウハウは1919年創業の新興自動車メーカー、シトロエンに受け継がれたという訳だ。

 

スカラベ・ドールのベースとなったのは「シトロエン10HPタイプB2」。同社にとって、タイプAに続く2番目の市販車で、1921~26年に生産されたが、サハラ縦断の前年1920年には少なくとも3台のタイプAがケグレッスの手によってオートシュニーユ化され、「10HPタイプAケグレッス」として、すでに製作されていた。ちなみに「シュニーユ」とは俗にいう「毛虫」の意味だ。これらタイプAケグレッスはアルプスやマッシフ・サントラルやピレネーの山々、そしてボルドー近辺の砂浜で試走を重ねた。つまりシトロエンは1番目の市販モデルそのものから、オールテレイン化を実現して道なき道を目指していたのだ。

スカラベ・ドール(コガネムシ)とあだ名されたタイプB2 ケグレッスの水冷4気筒エンジンは、68×100㎜のロングストロークでシングルカム駆動のサイドバルブを備え、排気量は1452㏄で出力は20ps/2000rpm、3速トランスミッションを介してリアのキャタピラを駆動した。わりと軽量で低回転域からトルクを出すエンジンを採用しつつ、接地圧を小さくすることで走破性を高め、平均速度と燃費効率をも稼ぐという、その方向性は後のC4などベース車両の世代を新しくしたP10やP17へ発展しても、シトロエンのオートシュニーユの基本構造として守られた。会社としてのシトロエンが破産して1935年にミシュラン傘下に入った後、一連のオートシュニーユの製造と生産という軍需部門はユニックという、後のシムカに繋がる会社に任された。

こうしてオートシュニーユの血統はシトロエンでは戦前に途絶えたかのようだが、市販車ベースで軽量で、距離を重ねる際に高い平均速度と省燃費を求めるという方向性は、じつは現在のフレンチSUVがモロに受け継いでいる傾向だ。オートシュニーユというプリミティブながら金字塔となったミリタリー用途のユーティリティ車両があったからこそ、民生用途として悪路もたまに走れる程度のレジャー車両であるSUVなら、本格的に過ぎるとむしろ野暮ったい、そんな感覚だ。もっといえば、住宅街やキャンプ場の往復だけで必要以上にモノモノしい冒険心をまき散らすのは、ちょっとメルヘンの量が過多じゃないかという話でもある。逆にボタンひとつで駆動力を最適化する「アドバンスグリップコントロール」のような電子制御を備える辺りに、単なるイージーさだけでなく、シトロエンの洗練と進歩とスマートさを見い出せもする。そもそもSUVで国境を越えるグランドツーリングが可能な環境というのは、平和が前提なのだから。

スカラベ・ドールの時代からして、大陸旅行や大陸間移動を成し遂げた冒険者たちは、それまでの熱血漢タイプから理性的で冷静なビジネスマンタイプに変わっていた。シトロエンが2年後に行う再度のサハラ砂漠縦断は、21世紀の冒険として、環境への配慮、ネットワークの活用と連携、そして電動化、以上がカギになるだろう。そして、そんな新しい価値観を気にして市販SUVを眺めてみると、「4WDが最低限」といった選び方が、いかにも20世紀的で、窮屈に思えてくるはずだ。

この記事を書いた人

南陽一浩

1971年生まれ、静岡県出身、慶應義塾大学卒。ネコ・パブリッシング勤務を経てフリーランスのライターに。2001年より渡仏し、パリを拠点に自動車・時計・男性ファッション・旅行等の分野において、おもに日仏の男性誌や専門誌へ寄稿し、企業や美術館のリサーチやコーディネイト通訳も手がける。2014年に帰国して活動の場を東京に移し、雑誌全般とウェブ媒体に試乗記やコラム、紀行文等を寄稿中。2020年よりAJAJの新米会員。

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