様々な断片から自動車史の広大な世界を管見するこのコーナー、今回は1960年代の半ばに世界的なブームを巻き起こしたスロットカーの、パッケージ・デザインの魅力を、皆さんといっしょに再発見してみたい。
夢を誘うスロットカーのボックスアート
クリスマス。幸運な子供達にとって、それは1年のうちでも最大のイベントだった。1965年ごろ、いちばんの憧れは日本製のおもちゃでは+なく、アメリカ製のおもちゃだった。人形ならリカちゃんよりもバービー。クルマの模型なら、レベルやモノグラムなどのスロットカーだ。バービーが少女というよりもクールでハイファッションな大人の女性だったように、スロットカーはもはや子供向きの玩具の域を超えていた。
スロットカーの源流は古いが、製品として元祖のひとつであるのはドイツの老舗玩具メーカー、メルクリンが1938年に売り出したレーシングカーだ。1本のレールから電流を得て、豆電球を光らせて走った。一方、スロット(溝)にガイドを嵌めて走るクルマのおもちゃとして最初の製品と目されるのは、イギリスのスケーレックストリックが’50年代末に出したフェラーリとマセラティのフロントエンジンF1。プラスチック製ではなくティン・プレート(ブリキ)製のモデルで、スケールは1/27くらいだった。だから、スケーレックストリックは現存する最古のスロットカー・メーカーである。
スケーレックストリックは、クルマ単体だけでなくラバー製のコースも用意しており、そのセットも販売された。すぐにアメリカへ輸出されたが、アメリカではストロンベッカーがジャガーDタイプとフェラーリ250TRを製品化しており、それはミリオン・セラーとなった。1963年にプラスチックモデル・メーカーのレベルがスロットカーのマーケットに乗り出すと、続いてK&B、AMT、コックスなども参入した。
その頃にはアメリカ全土にスロットカーのコースが作られ、すぐに日本にも飛び火して、1965年ごろには日本のプラモデル・メーカーもほとんどがスロットカーに参入した。なんと日本国中で100ヵ所ものスロットカーのコースが新設されたのだった。アメリカでも日本でも、スロットカーの影の仕掛け人はマブチ・モーターだったと言われている。なぜなら、ほとんどのスロットカーの製品がマブチのモーターを採用し、実際にそれは軽量、コンパクト、ハイパワーという優れたPUの3大要素を実現していたのだから。
その後はプラスチック・モデル・メーカー以外の参入もあったが、スロットカーにとってのヴィンテージ・イヤーといえばやはりこの時代だろう。なんといっても、そのパッケージが魅力的だった。アメリカのグラフィック・デザインの最良最高の到達点としても記憶されうるものだと、私は確信している。