初陣でフロントロー独占! 鳴り物入りで登場した「マーチF1」に想いを馳せる【GALLERIA AUTO MOBILIA】#012

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2019/08/16 10:00

様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回は、デビュー戦でポール・ポジションを獲得し、2戦目で優勝を飾ったマーチF1の忘れられた2年目。ロニー・ピーターソンの活躍に想いを馳せる。

頂点からの出発

新しい時代の始まりを予感させる1970年に、マーチF1は鳴り物入りで登場した。インディアナポリス500マイルレースでの派手な活動で有名だったSTP(アメリカのオイル添加剤メーカー)がメイン・スポンサーとなり、マリオ・アンドレッティの他に、クリス・エイモンとジョー・シファートを擁してワークスカーを走らせるだけでなく、前年度のワールド・チャンピオンだったジャッキー・スチュワートまでもがマーチF1に乗るというのだ。
ジャッキー・スチュワートは、前年に引き続きケン・ティレルのチームからの出場だったが、前年のチャンピオンマシーン、マトラMS80が、本体のマトラ社がクライスラー・グループのシムカと提携したために、フォードDFVを搭載して走ることが出来なくなった。そのためケン・ティレルは、マーチF1をスチュワートのために購入する決断を下したのだ。また、エンツォから気に入られていたエイモンも不振なシーズンが続いたスクーデリア・フェラーリに見切りをつけて、古巣のマクラーレンの頃から気心が知れたロビン・ハードが率いるマーチに移籍したのだった。
そしてジョー・シファートも、スクーデリア・フェラーリの熱心な誘いを断ってマーチに乗った。フェラーリにとって、ポルシェのエースとして活躍するシファートほど引き抜きたいドライバーはいなかったのだが、ポルシェにとってもル・マン初制覇に最も大事なドライバーであり、フェラーリへの移籍を許すはずはなかった。シファートもエイモンも、F1のチャンピオンになるだけの素質を持つことは衆目の一致するところだったのだ。
マリオ・アンドレッティはSTPのオーナー、アンディ・グラナテリのバックアップを受け1969年に念願のインディ制覇を成し遂げたばかりで、グラナテリは余勢をかってF1制覇にまで駒を進めたのだろうか。あるいは、新興コンストラクターのマネージャーの口車に乗ってしまった、というのが真相ではあるまいか。それにしても、これだけ優秀なドライバーを集めてF1にデビューしたコンストラクターは前代未聞だ。

CAN-AMレースの人気は1970年が頂点で、ヨーロッパでもインター・セリエとして、主にドイツで開催されていた。ポルシェ917なども多数参加する中、マーチ707の改造型が2勝を挙げている。これはイタリアのポリ・トーイ製。

まったく新しいコンストラクターながら、緒戦の南アフリカGPでは、スクーデリア・フェラーリなどが1台のみの参加に対して、マーチは5台の701F1を出場させている。しかもこのデビュー戦で、ジャッキー・スチュワートがポール・ポジションを獲得し、セカンドもクリス・エイモンが獲るという偉業を達成した。ライバル・チームはこの新参者のポテンシャルに恐れ慄いたことだろう。
もっとも予選での好成績は本番では続かず、南アフリカGPではスチュワートが3位、シファートは10位に入った。その他はリタイアであった。しかし、続いてノンタイトルながらブランズハッチで開催されたF1レースでは、スチュワートがマーチに最初の優勝をもたらし、続くスペインGPでは、初のGP優勝を達成。さらに、シルバーストーンのノンタイトルF1レースでもクリス・エイモンが優勝を飾った。つまりマーチは、1970年のシーズン最初の4レースで3勝をあげるという前途洋々のスタートをきったのだ。しかし、あにはからんや、この後のマーチは何度か表彰台には上がったものの勝ち星を増やすことはなかった。
それでも、コンストラクター・ランキングではロータス、フェラーリについで3位を獲得した。少なくとも設計者ロビン・ハードがかつて在籍していたマクラーレンよりはほとんどの場合、予選でも決勝でも速かったのだから、デビューしたばかりのコンストラクターとしてはまずまずの成果だったというべきだろう。ちなみに、マーチを興す前のロビン・ハードは、ブルース・マクラーレンのもとでレーシング・マシーン開発のいろはを教わった。英国屈指のアカデミーの出身で、音速ジェット旅客機コンコルドの開発に携わっていた優秀な航空技術者だった彼は、時にはブルースと一緒にマシーンに乗り込んで挙動を観察し、具体的にレーシングカーを開発する術を学んできたのだ。その後、キース・ダックワースから4輪駆動F1の開発プロジェクトに誘われて、技術者的興味と野心から、コスワースに籍を転じ、いささかブルースを失望させたこともあった。そんな経歴を持つロビンは、マーチ701の開発にあたり、マクラーレン流に手堅い設計を重んじて実戦向きのF1に仕立て上げた。確かに完成度は高かったが、シーズンを通じての開発には他のチームと比べ力不足の面もあったようだ。

1970年のCAN-AMの最終の3戦にのみ出場したマーチ707は、F1の701と共通のイメージを持つノーズのデザインが特徴。クリス・エイモンの操縦で上位に食い込んだが、マクラーレンを負かすには至らなかった。これはフランスのソリド製。

ともあれ設計開発を率いるロビン・ハートは、1970年シーズン用に用意した701がコンベンショナルなものでありすぎたという反省もあったのだろう。翌1971年シーズン用に開発した711は打って変わって冒険的でユニークなデザインで、別の意味で話題を呼んだ。
ドライバーの布陣も一挙に変わりベテラン連中は皆去り、もともと701以前、1969年の末に大わらわでブラバムやロータスの部品を使って作りあげた実質的なマーチの1号車となる693で、マーチの最初のドライバーともなった新人ロニー・ピーターソンとアンリ・ペスカロロが乗った。2年目のシーズンを迎えたロニー・ピーターソンは優勝こそあげられなかったが、モナコを始めきらめく才能の片鱗を見せ、何度か2位を獲得。ドライバーズ・ランキングでも年間総合2位を獲得した。
マーチは、F1における最初の2年間で大きな成功を収めたというべきだろう。さらにF1に限らず、市販レーシングカー・メーカーとして、特にBMWのエンジン供給を受けたF2や2リッター・スポーツカーではおびただしい勝利を獲得して大成功を収めた。その活動の場は日本にも及び、またアメリカでもインディカーマーケットを独占していた時期もあった。
今となってはローラやシェブロンと同じく消滅してしまったコンストラクターだが、マーチとともに活躍して印象深いレーサーは数多い。しかし、私の記憶の中では何よりも1971年のモナコやモンツァでのロニー・ピーターソンの活躍が鮮烈に残っている。

マーチF1のグランプリにおける優勝は3回のみで、1970年のスペイン・グランプリ以来絶えていたが、1975年に雨中のオーストリア・グランプリでヴィットリオ・ブランビッラが印象的な2勝目を記録した。そして3勝目は’76年のモンツァでのロニー・ピーターソンの殊勲だった。英国の小さなミニカーメーカーであるジョンデイは1976年にマーチF1のスポンサーだったこともある。

Photo:横澤靖宏/カーマガジン464号(2017年2月号)より転載

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